"I insist that ..."は「わたしは・・・と主張する」ではない
日本語の哲学の論文を読むと、英語の要約部分で結構な確率で「I insist that p」が使われているのを目にする。例えばciniiで"I insist that"で検索すると、500件ぐらいヒットする。
英和辞書を読むとinsist that pは「~と主張する」と書いてあるので、著者の方はたぶん「わたしは~と主張する」という意味でこれを使っているのだと思う。
しかし"insist"はそういうニュートラルな意味での「主張する」ではない。わたしの語感ではinsistは、自分の立場に対する反対意見を聞いてもなおも(もしかしたら無理気味にでも)自説に固執する時に使う単語である。
これは英英辞書を見るとはっきりする。例えば
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この点はまたシソーラスを見るとさらにサポートされる。この辞書の類義語欄に挙げられているのはargueとかmaintainといった「論じる」に対応する定番の動詞ではなくて、demand, require, be adamantといった単語・フレーズである。
また"I insist that"は英語論文では他の類似のフレーズに比べてほとんど使われない。例えばgoogle scholarでこのフレーズを検索すると1万5千件あまりしかヒットしない。これに対して"I argue that"だと約54万5千件になる。出典欄にphilosophyを入れると差はさらに広がり"I insist that"は370件あまりに対して"I argue that"は2万600件とその差は55倍以上になる。
英作文上のこういう問題を避ける方法のひとつは、(月並みなアドバイスではあるが)疑問に思ったら英英辞書を引いてみることだ。英和辞書だと英単語の理解がどうしても日本語訳語のニュアンスに引きずられてしまうが、英英辞書だと単語の意味をほぼ正確に説明してあるので、こうした誤解をすることは少なくなる。もちろん英語のインプットをたくさんすることも重要で、「こういう局面ではこの単語を使う」という暗黙的理解が形成されると、場にそぐわない単語をみると「おかしいな」と感じることになる。
瀧本哲史著『ミライの授業』のメンデルの記述は大幅に間違っている
以下は瀧本哲史著『ミライの授業』のメンデルの項について準備していた文章である(文章については公開に当たってかなり手を入れているが、全体の構成については七月の段階でできていた)。そこでは同書の誤りについて説明し、そうした誤りがかなり簡単に気づけるものなので、著者にも幾ばくかの責任があることを述べている。
* 既報の通り著者の瀧本氏は逝去された。また著者に近しい人の回想によると、著者が本書を書いたのは深刻な病気からいったん回復した後のことであったようだ。この意味で以下で述べる誤りの責任についてはある程度の情状酌量ができるかもしれない。
しかしそうであっても誤りは誤りであり、可能であれば何らかの形で誤りを訂正してもらうのが適当だろう。この文章を公にすることにしたゆえんである。
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しかしこの本のメンデルにかんする部分(204-210頁)は大幅に間違っている。著者はメンデルについて次の三つのことを述べている。
三つの大きな問題
一つはメンデルが有名なエンドウマメの実験をダーウィン進化論の正しさを示すために行ったとしていることだ。著者はこう述べる。
さて、留学期間が終わり、地元の修道院に戻ったメンデルは「遺伝」の研究に取りかかります。当時、すでにイギリスの自然科学者ダーウィンが『種の起源』という本を出版し、進化論を唱えていました。...
しかし、ダーウィンの進化論にはどうしても説明できない難問がありました。
たとえば、赤い花と白い花を交配させたとき、その花はピンク色になるはずだ、というのがダーウィンたちの考えでした。ところが実際にはピンク色の花なんて生まれません。赤い花が生まれたり、白い花が生まれたり、結果はまちまちです。
ここに数学的な答えを与えることができれば、進化や遺伝の謎が解けるのではないか。
そう考えたメンデルは、壮大な実験に着手します。(206頁)
しかしこれは誤りであり、しかも誤りであることは簡単に示せる。というのは、メンデルの上述の実験が始まったのは1855年(前後)であり、ダーウィンが自説をはじめて公にしたのは1858年(ロンドンのリンネ協会においてウォレスの説と同時に発表)だからである。したがってメンデルが実験を始めたときには彼はダーウィンの進化論を知らなかった。当然のことながら、知らない説の正しさを示すために実験をすることはできない。*1
もう一つは、メンデルの業績が長い間顧みられなかった理由である。よく知られている通り、メンデルは自説を論文として1866年に発表したが(口頭発表はその前年)、学会からの評価は芳しくなく、1900年にメンデルの業績が「再発見」されるまで半ば無視されていた。この理由の一つとして、『ミライの授業』ではメンデルの実験結果が彼の理論からの予測値と合いすぎていたことがあると述べる。
しかし、学会ではまったく相手にされません。あわてて今度は、遺伝の法則について書いた本[ママ]を出版するのですが、これもみごとに無視されます。
なぜだと思いますか?
[...]
そしてもうひとつの理由は、メンデルが提出したデータが、あまりにも「できすぎ」なものだったこと。つまり、メンデルの「分離の法則」に従うと、4000個のエンドウ豆のうち背の高い3000個と、背の低い1000個が生まれることになります。
でも、「背の高い苗はぴったり3000個でした」と発表されたら、逆にあやしく感じますよね?...ところがメンデルが提出したデータは、「ほぼぴったり」の数字で、自分の法則を裏付けるものでした。(207-209頁)
しかし、これも全くの誤りである。たしかに、メンデルの実験結果が彼の理論からの予測値と合いすぎているという指摘はあった。しかしこの点に触れたのはW・F・R・ウェルドンが1901年にカール・ピアソンへの手紙で言及したのが最初とされている。*2。したがってメンデルの実験が1900年までに無視された理由にはなり得ない。*3
第三の主張は、エンドウ豆の実験に対する学会の反応を受けたメンデルの対応、およびメンデルの実験が学会で無視され続けた理由についてである。よく知られている通り、メンデルはエンドウ豆の実験について1865年にブルーノ自然科学会で発表し、その上でその成果を1866年に論文にしたが、学会の反応は芳しくなかった。例えばメンデルは当時の植物学の権威であるネーゲリに論文を送り、さらにエンドウ豆の実験の追試を行うことを依頼したが、ネーゲリはそれを実際には行わなかったらしい。『ミライの授業』では、メンデルの説がその後も受け入れられなかったのは、自説の正しさにひとりで満足し、それに閉じこもったメンデルの態度にあったとしている(209-210頁)。
一方、優秀であるがゆえに周囲の協力を求められない人がいます。
自分は絶対に正しいのだし、正しいことをやっていれば、かならずいつかは認められる・仲間なんて必要ない、と考えてしまう人です。
その代表例ともいえる人物を紹介しましょう。「メンデルの法則」で有名な植物・遺伝学
者、グレゴール・メンデル[...]です。(205頁)
彼はシャイな性格で、あまり人との交流を好みませんでした。数学的な正しささえ証明すれば、いつか認められるはずだと考えていました。パートナーを求めず、「仲間」をつくろうとせず、孤独に研究を続けていたのです。(209頁)
しかし、これにも問題がある可能性が高い。というのは、手元にある日本語で読める生物学史の本(中村禎里『生物学の歴史』、矢杉龍一『生物学の歴史(上)(下)』、ボウラー『進化思想の歴史(上)(下)』、木村陽二郞『原典からの生命科学入門』、メンデル『雑種植物の研究』訳者解説)を見ても、メンデルが自説に自己満足し、仲間を求めなかったことが学会に広まらなかった原因だといったことはまったく書かれていないからである。
誤りの責をどこまで著者に向けるべきか
このように『ミライの授業』のメンデルの記述には大きな問題がある。ただしこれには情状酌量の余地もある。著者は科学史家ではないので、既存の文献をもとにメンデルについて記述している。実際、メンデルの項目に関する参考文献として
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しかしだからといって氏が全面的に免罪になるわけではない。第一に、上の誤りは「通説では○○と書かれていたが、最近の研究ではそうではないことが明らかになった」というような誤りではない。例えば(ちょっと古いかもしれないが)進化論史や生物学史の通史として有名で、日本語で書かれている本
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第二に、確かに参考にした本が信頼できなかったのは不運だったが、上で書いた誤りは別のルート(そして上で挙げた通史よりももっとアクセスしやすい資料)をチェックするとすぐにおかしいと気づく類の誤りだからだ。
例えば日本語のウィキペディアのメンデルの項を見ても、ダーウィン進化論を証明しようとメンデルが実験をしたということはまったく書かれていない。またメンデルの観察値が理論値に近すぎるように見えるので(再発見されるまで)顧みられることがなかったといったことも書かれていない(さらにこの点については英語版のウィキペディアをみるとフィッシャーの論文に言及されている)。
もちろん、(すべての大学教員が強調するように)ウィキペディアは学術的には必ずしも信頼できないので、これらのエントリを読んだだけでは上の誤りがきちんと証拠立てられたとは言えない。しかしこうしたエントリを読んで「何かおかしい」と気づくことを求めるのは過大な要求ではない。
(これは山田氏については瀧本氏よりももっと罪が重いということを意味する。率直に言って、学会でそこそこの地位に就いている人が上のような初歩的な誤りを書くことは信じられないし、山田氏の専門家としてのクレディビリティを揺るがすものである)
また第二の点については、著者が参考文献欄にあげているもう一つのメンデルに関する本、つまり
奇人・変人・大天才 19世紀・20世紀: ダーウィン、メンデル、パスツール、キュリー、アインシュタイン、その一生と研究
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- なぜダーウィンではなくメンデルが遺伝の法則を見つけられたのか(55-58頁)
- メンデルの疑惑(59頁第一段落)
- 1865年の学会発表における聴衆の(芳しくない)反応(59頁2段落目以降)
このような並びになっていると、斜め読みしかしなかった読者はメンデルの疑惑とメンデルの研究の受容に関係があると思うかもしれない。
しかしこの点からの情状酌量の程度は限られている。というのはゴールドスミスの本は(書影から推察されるように)子供向きの本としてかなりわかりやすく書かれており、すこし丁寧に読めば上のような誤解はしないはずだからだ。子供向けにわかりやすく書かれている本の論旨を正確に理解するのは、著者に課するには決して高いハードルではないだろう。
第3の点については、著者に責をどのくらい求めればよいのかわからない。というのは、著者の記述が何に基づいているのかわからなかったからだ。本書の参考文献欄にあげられている本の中でメンデルの記述がありそうな本は上で取り上げた二冊だが、それらにはこのことは書かれていない。日本語で比較的手軽に読める生物学史・進化論史の本に上述の点が書かれていないことはすでに述べた。
したがって、この点についての著者の責は、もしかしたらまったくない可能性もある(わたしが間違っている)し、きわめて軽い可能性もある(例:記述を信じても仕方がないような本に書かれていたことを参考にしている)し、きわめて重い可能性もある(例:資料に基づかない全くの想像で書かれている)。
まとめ
これまで『ミライの授業』のメンデルの項における誤りについて述べてきた。また、(専門家に見える人の本に誤りがあったという不運もあったが)日本語の文献やウィキペディアを読むだけで、少なくとも「何かおかしい」ということに気づく機会があったことも述べた。そういった意味で、この誤りの責任は著者にもあると思う。
*1:また最近のメンデル研究では、メンデルは自らが遺伝の研究をしているつもりはなく、当時盛んだった雑種の研究の中に自らの研究を位置づけていたという。これについては松永俊男: メンデルは遺伝学の祖か. 生物学史研究 94:1-17,2016を参照。
*2:その後R・A・フィッシャーが1911年の講演でこの点を追求し、1936年に論文の形で公表した。
*3:この点については Ending the Mendel-Fisher Controversy
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- 冒頭で「哲学は我々の生活に関係している」として、菜食主義の例が挙げられている。
- また冒頭2ページ目で、この本は西洋哲学しか扱わないことを宣言し、のみならず中国哲学・インド哲学などの世界の哲学の入門書を紹介している。
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齋藤孝「質問力」
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を読んだ。よい質問をするための方法を教える本。著者はこれからの社会を生き抜くためにはコミュニケーション能力が大切で、それは「はじめて出会った人と三分で深い話をする能力」と特徴づける。そしてそうした能力のためには〈深い対話〉へと導くための質問力が重要だと述べ、そうした技法を解説する。
しかしよい質問をするためには、よい質問とはどういうことかを簡単にでも知っておかなくてはならない。したがって著者は何とかして「よい質問」とはどういうものかを説明しようとするのだが、応用に役立つ仕方でうまく説明されていない。たとえば著者は、よい質問とは「具体的かつ本質的な質問」だと言うのだが、それを知っても次からよい質問ができるとは思えない。
本書のもう一つの(そして深刻な)問題は、この「質問力」を身につけてどういう役に立つのかわからないところだ。これは、この本に出てくる例の多くが雑誌の対談である点に現れている。雑誌の対談とは、相手が語るに足るものをもっていてそれを純粋に知りたい、という動機付けがある場合のコミュニケーションである。これは普通の会話、つまりはことばを介したグルーミングとは異なる。
そしてこうした「深い」コミュニケーションをおこなう機会が日本社会の中でどれだけあるだろうか。仕事としてインタビューをする人にはもちろん役立つだろう。しかしたとえば大学生がこうした質問力を身につけて就職の役に立つだろうか。就職の面接でこんな深い会話をする必要はほとんどの場合ないのではないだろうか。
とはいえ、この本ではたくさんの「よい」質問の例を提供しているので、よい質問をしたいと思う読者は――著者の理屈付けに同意しなくても――例にたくさん触れて、その中から自分なりの「よい質問」の仕方を学ぶことができる。
例えばよい質問をする一つの方法は、話から導き出される(ひろい意味での)論理的帰結を考えることだ。黒柳徹子が淀川長治にした質問――「(『日曜洋画劇場』で映画を)800本も紹介していたらおもしろい映画ばかりではないでしょう」――がひとつの例になる。これは「800本の映画を紹介した」という淀川についての事実と「よい映画はそう多くない」という一般的な常識を組み合わせることで出てくる。このように「よい質問」の例について「それを思いつくにはどのようにアタマをはたらかせればよいか」を考えれば、よい質問を思いつくための技法を得る役に立つだろう。
英語の固有名詞の発音の表記に迷ったときに
英単語の発音をその単語が実際に発音されているYouTubeのビデオから取り出してくることで教えてくれるサイト。固有名詞の発音を知りたい時には便利そう。
授業のためにどのくらい・どういう準備をしているか
以前「年収160万円」からの脱出、還暦を機に大学教授を目指してみたという記事が話題になった。これは色々突っ込みどころがある記事だが(その続編を見ると著者はたぶんわかってやっていると思う)、一つ気になったのはこういうところだ。
近々の世界の経済史、政治史など数冊を読み込み、応募要項にそった書類を用意し、拙著(無料だ!)とともに郵送したのだ。
賢明な方々が指摘している通り、大学教員の感覚では「近々の世界の経済史、政治史など数冊を読み込」んだくらいでは、大学できちんとした科目を教えることはおぼつかない。とはいえ、実際の講義がどのくらいの準備に支えられているかを明らかにしないと、なかなか想像するのは難しいかもしれない。そこで今回はわたしが過去に行った講義について準備のためにどのくらい資料を読んだかか書いてみよう。
ここで取り上げる講義は以下のようなものである:
- 対象は農学系の学部の一年生
- 地域活性化についてのオムニバス授業*1の一回
- ただしわたしは地域活性化そのものについて授業することはできないので、(学生が関心を持っていそうな)環境問題とビジネスの関わりを倫理的に振り返るという内容*2。
授業の構成は以下のような感じだ:
- 最初の10分で自己紹介と今回の授業の概要を説明する。また今回の授業で出る課題を明らかにする(授業末尾で描写するケーススタディに自分ならどう考えるかを述べる)。
- 次に倫理学とはどういう学問か、そしてどういう学説があるかを述べる。具体的にはトロッコ問題を用いて功利主義とカント主義を描写する。
- さらにビジネス倫理学についてそのさわりだけ説明する。具体的には、企業の目的についてのストックホルダー説とステイクホルダー説を紹介して、両説が企業の環境問題への関わり方について引き出す教訓について説明する。
- 最後にビジネスと環境の倫理にかかわる二つの事例を描写して、もう一度課題を説明する。
それでわたしが上の各部分を準備する際にどのような資料を読んだかは次の通りだ(以下の番号が上の授業構成の番号と対応している):
- 最初の自己紹介や今回の授業の概要の説明については、資料は読んでいない。
- 倫理学の説明については、すでに勉強したことがあるのでこの授業のためには取り立てて何か読む必要はなかった。ただしこのくらい倫理学に馴染みになるためにはある程度論文などを読む必要がある。例えば留学したときにはに納められた論文は半分以上読んでいるはず。
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- この部分を作るときには結構資料を読む必要があった。まずわたしはビジネス倫理学については何も知らなかったので、その入門書、具体的には『ビジネス倫理学』および『ビジネス倫理学 哲学的アプローチ』
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を読んで概要をつかんだ。それを読んで企業の目的についての話が使えそうだと思ったので、上の二説を展開したフリードマンとフリーマンの論文を読むことにした。それらは以下のビジネス倫理学のアンソロジービジネス倫理学―哲学的アプローチ (叢書 倫理学のフロンティア)
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*3にあるので、それを読んでいる。またこの本にはビジネス倫理と環境問題を論じた論文を集めた章もあったのでそこに含まれる論文も二本読んでいるBusiness Ethics: Readings and Cases in Corporate Morality
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- この授業では各回ごとに課題を出す必要があった。課題の形式については、ケーススタディをいくつか出してそれについて考えてもらうというアイデアがすぐに浮かんだので、余り悩まなかった。ただしケーススタディ自体を見つけるのには少し苦労した。上の中谷『ビジネス倫理学』にはケーススタディがいくつかあったが、今回の授業に援用できそうなものは一つしかなかった。わたしとしてはケーススタディを複数出したかったので、もう一つ見つける必要があった。ビジネスと環境の倫理に関するケーススタディを集めた本にはや
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があることがわかった。前二者については環境にかかわる部分、最後のものについてはすべてのケースを読み、適当なものを最終的に一つ選んだ*4。Case Studies in Environmental Ethics
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ということで、この授業をするために読んだのは
- 日本語の本二冊
- 英語の論文二本(授業で使用)、二本(不使用)
- 英語の本三冊(二冊は部分読、もう一冊は通読)
で、強調しておきたいのは、この準備は一回の授業(90分)のためのものである。90分やって学生を退屈させないためには、このくらい準備が必要なのである。
ただしわたしはすべての授業でこのくらいの準備をしているわけではないことも付け加えておく必要がある。この授業でこれほど準備が必要なのは教える内容が定型化しておらず、いろいろなソースをパッチワーク的につなぎ合わせてストーリーを作る必要があったためである。それに対して内容が定まった授業ではこれほど準備するわけではない。例えば大学一・二年生向きの「倫理学」の授業で功利主義について教える場合は、教える内容は大体決まっている。すると、授業のストーリーを一から考える必要はなく、定番の教科書を組み合わせると流れができあがる。
研究不正に関する本、四冊
授業で教えるために研究不正についての本をいくつか読んだので紹介。
- 作者: ウイリアム・ブロード,ニコラス・ウェイド,牧野賢治
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研究不正関係文献の古典。研究不正の古典的事例(アルサブティ事件・キナーゼカスケード事件など)について詳しく述べるほか、不正を促す様々な要因(査読制度の不具合、徒弟制度の失敗など)を取り上げている。またこの著作は科学に対する偶像破壊ももくろんでいて、マートンや科学哲学による理想化された科学の描像にも批判が加えられる(研究不正についてだけ知りたい人にはそれが余計だと感じられるかもしれない)。原著は80年代に出版されたので最近の事例の記述は本文にはないが、訳者あとがきで著名な事例は簡単に触れられている。
- 作者: 酒井シヅ,三浦雅弘,アレクサンダーコーン,Alexander Kohn
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研究不正関係のもう一つの古典。原典の題名が"False Prophets: Fraud and Error in Science and Medicine"であるように、不正だけでなく誤りについても書かれている。わたしは一章と四章を読んだだけだが、歴史的事例の取り扱いについては、『背信の科学者たち』が科学者に厳しい判断を下している(研究不正を犯したと判断する)のに対して、コーンは「不正はなかった」と判断している事例が目につく。例えば上記の本ではプトレマイオスは自分の観測しなかったデータを報告したとすると、コーンはそれを否定している。わたしの印象では、多くの事例の記述に深みがない、つまりここだけ読んで事例の全体像がわかる記述になっていないと感じた。
- 作者: 黒木登志夫
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研究不正についてコンパクトにまとめた入門書。研究不正の事例を集めている点では『背信の科学者たち』と同じだが、こちらの刊行年がずっと後なのでノバルティス事件やSTAP細胞事件など最近の事件への記述が詳しい。但し本書はそれだけでなく不正行為の分類や研究不正に手を染める理由、不正監視組織についても頁が割かれている。また類書に比べて研究不正にかんする統計についても詳しく、現在における研究不正の全体像を知るのにすぐれている。
- 作者: 村松秀
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00年代におけるもっとも著名な研究不正事件の一つであるシェーン事件を描いたもの。著者は同じ事件を描いたドキュメンタリー番組の制作者なので、生き生きとシェーンの成功と凋落を描き、頁をめくる手が止まらない。しかし単にこの事件の経過を語るだけでなく、その背後にある「ネイチャー」「サイエンス」といった超一流の科学雑誌のずさんな体制、シェーンの後ろ盾となった有名研究者の無責任さ、シェーンが所属していたベル研究所の問題をもきちんと描き、事件を大きな構図から理解できるようになっている。研究不正についての著作は往々にして多数の事例を駆け足で扱うことになりがちなので、それを補うモノグラフとしておすすめできる。