アウトラインプロセッサを使い始めた。
わたしの使い方------アウトラインプロセッサのよいところ
わたしはいまのところアウトラインプロセッサを、短い、何を書くべきかが決まっている文章を書くときに使っている(ここが他の人と違うところかもしれない)。たとえば、論文のイントロダクション・アブストラクト。こうしたことは書く事柄が決まっている。たとえば学術論文のイントロに何を書くかについては、有名な「公式」がある(たとえば、酒井聡樹さんやyaharaさんのものを参照)。こうしたイントロの公式にあわせて先にアウトラインをつくる。そして、そのトピックにあう事柄を書き込んでいくわけである。
なぜこれがよいのか------わたしの問題
なぜこれがわたしにとって有効かというと、わたしはイントロを一息で書くことができないからである。書いている途中で、論文の意義とか評価とか、あるいは今さっき書いた部分を手直ししたくなったりして、注意が散漫になってしまう。
これは、竹熊健太郎さんが
小説なども、厳密に構成を決めずに「とりあえず書き出す」派が多いように感じます。こういう系列の文章を書く人は、文章の冒頭がものすごく大事で、出だしが決まれば、一気に、ノリに任せてダーっと書けることが多いようです。でも、出だしの一枚を書くのに、何時間も、ときには何日も苦しむことがあります。
なぜ結末も決めずに文章(物語)が書けるのか?(1): たけくまメモ
と書かれていることとは対極にある。竹熊さんの主題は小説だが、わたしの場合は論文のイントロさえノリではかけない。ところが、アウトラインプロセッサをつかうと、注意をひとつひとつの項目に強制的に向けさせることができる。
たとえば、nami2000というソフトウェア(下の写真はスクリーンショット)だと、あるトピックの元に納められた文章しか見ることができない。
たとえば、左のアウトラインで「(2)インターネットのルーツ」を選ぶと、そのトピックの元にある文章しか見ることができない。したがって、選択したトピックについて書くことに集中できる。
つまり、わたしにとってイントロ全体というのは、注意を向けるのに大きすぎるのだ(書いていてなんか情けないが、ほんとうのことだ)。「イントロをかけ」ではなく、アウトラインの元で細かく分けられた課題------「この論文の背景を書け」「subjectを書け」「Thesis statementを書け」「オリジナルな点をかけ」「論文の構成を書け」というような------に注意を集中させると、はるかに書きやすくなる。
そういう意味で、アウトラインプロセッサは、わたしにとって注意を強制的に書くべき事柄に向ける道具になっている。