まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

バカがいっぱい

気づいてみると、この世の中にはバカがいっぱいである。別に自分以外のすべての人がバカだというつもりはないが、今まで思っていたよりもバカはずっと多いのである。「そんなバカなことがあるか」という人もいるかもしれないが、そういう人は自分とは違う政治信条をもつ人のことを思い浮かべてみればいい。そうするとすぐに彼らがほとんど例外なくバカであることがわかる。あなたが左翼なら右の人はどうしようもないバカであるし、あなたが右なら左派は死んでも直らないようなバカである。あなたが中道なら、左翼右翼はお互いをバカと罵りあっている時点で両方ともバカである。もちろん、あなたとは違う信条をもつ人の中にもほんの少しだけバカでない人はいるが、しかしそうはいっても、結局のところ彼らもあなたと同じ立場には立たないのであって、そういう意味では彼らも------程度は低いものの------やっぱりバカだといってよい。

しかし考えてみるとこれはおかしいのではないか。政府が今の状況でなすべきことは明々白々である。なぜこれが他の人にはわからないのだろうか。それはもちろん彼らがバカだからであるが、しかし彼らだってたんなるバカではないかもしれない。そう考えると、あんなバカがこんな聞いたふうな意見を持つのはおかしい、たぶんこれは彼らがどこかから金をもらっているのかもしれない、あるいは何か巨大な陰謀があって------この世の中には陰謀をめぐらせている集団がたくさんある、新聞社、テレビ局、広告代理店、政府、政治家、官僚、財界、外国人、外国政府、なんとか教団の類だ------そうした陰謀に(彼らはバカなので)知らず知らずのうちに籠絡されているのだ。そうすると、こうしたバカが一人前に意見を吐いて、しかもあなたにとっては明白な結論にたどり着かない理由が明らかになった。つまり、彼らは二重にバカなのだ。あんなバカな奴らにたらし込まれて、あなたの立場が正しいことが見えないなんて。

あるいは単に、彼らは徒党を組んでいるだけかもしれない。バカがバカを呼び、バカがバカと集まり、バカが仲間うちのバカな誰か(つまり大バカだ)を担ぎ上げて、バカな目標を達成しようと努力をするふりをするも、根がバカなものだからとんちんかんな方向にしか行かず、そして結局のところ目標などという高級なものは自分たちにとっては本当はどうでもいいことがわからず(バカなので)、ついには一日中バカなことだけを言い合う集まりになって、つまりはじめから終わりまで何をしていたかというと、バカ同士「バカバカ」と言って馴れあっていただけなのだ。そして彼らはあなたのような人のことをバカだといっているに違いない。なんと大胆な。バカがバカと集まり、あまつさえあなたのような人のことをバカ同士でバカと呼ぶのだ。もちろんこれは彼らがバカだからできることではあるが、しかし驚いてしまう。いったいこれはバカの何乗なのだ。バカの累乗加速装置。こんなことが続いていると、いつの日かこの世はバカで埋め尽くされ、政府はバカに牛耳られ続け、しまいにはどうにもならなくなってしまうだろう。

しかしどうして最近こんなにバカが増えたのだろうか。あなたの人生がこんなに大変なときに------仕事はうまくいかないし、人間関係も大変だ。あなたの周りは(本当はバカなのに)みんなうまくやっていて、あなただけがうまくいかない。ふと、二流の人生かな、とおもう。そう考えると、こんなにたくさんバカがいてよかったのかもしれない。バカを相手にするのもいい暇つぶしだ。だってバカはバカだからあなたに議論で勝てるわけがない。百戦百勝、勝率十割だ。名監督だってこんなに勝てない。それにバカにバカと言ってもバカのバカが直るわけではない。しかもバカの数はほぼ無限だから、あなたがこんなバカばっかりの世の中を変えられるわけがない。そう、この世はバカでいっぱい。道理であなたの人生はうまくいかないのだ。もしそうなら、バカに支配された世の中を変えるなんてばかばかしい。うん、バカをバカと罵倒するのも悪くない暇つぶしだ。