まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

分類学のたそがれ

分類学のたそがれ」(A Fading Field)という記事がThe Scientistにのっていた(無料の登録が必要)。

要約すると、このような感じだ。

生物学の中で伝統的な分類学は終焉を迎えつつある。生物系の学生の中で伝統的な分類学に対する興味が薄れつつあり、大学にポストを持つ分類学者の数も減少している。とくに大学にポストを持っていた分類学者が退職したあとも、代わりの人を補充しない事例が増えつつある。NSFも若手の分類学者を支援するプログラムを持っているが、分類学にきびしい現下の流れを食い止めるに至っていない。NSFのプログラムの支援を受けた研究者の多くはその後分類学に関係する仕事に就いていない。自然史的な知識・スキルは、分子レベルの研究手法を取り入れた場合でも、有用な洞察を与えてくれる場合があるのはたしかである。しかし生物学で職を得たいのなら、分類学を勉強することは役に立たないのである。


この傾向の背後には、分類学の生物学における特殊な位置もある。分類学は生物学のほかの部門から切り離されている、と分類学者とそうでない研究者の双方が考えてきた。分類学者はその隔離を自然の驚異に魅了されるためのスペースを与えてくれたものと解釈した部分もあるが、ほかの生物学者にとっては「分類学者=切手コレクターと同類」という先入見を維持するのに役立った。この先入見をいま打ち破るのはそう簡単なことはない。

この記事の内容自体はもう何年も前からいわれていることではあるが、うまくまとまっているので、読んでみてください。

※この記事に現れている構図は、哲学が置かれている状況とあまり変わらないような気がする・・・。

(追記)
記事で紹介されているインタヴューがyoutubeで見られる。