まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

ぼくはこんな本を読んできた(夏休みに)

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

言語の進化についての浩瀚な研究書。著者のシナリオは、肉食狩猟とモノガミーからくるメスの占有を保証する「契約」の必要性が、事物・事象-記号の連合にとどまらない記号相互の連関システムを備えた初期言語を進化させる選択圧になり、さらにそれが脳の前頭前野の発達とさらなる言語の発展の間の正のフィードバックループ(ニッチ構築による共進化)の引き金を引いたというもの。また著者はチョムスキー流の言語に特化した学習モジュールの存在を否定し、子どもに特有の学習バイアスが言語学習を容易にさせているとする。言語進化のシナリオをなかなか出してくれないため、議論を追いにくい。翻訳は生硬で、改善の余地あり。また訳者解説は、本書が扱うトピックに対する無知の告白や訳語の選択にかんする弁明など、著者の議論の理解に役立たないことしか書いておらず、訳者がほんとうに原著を理解して翻訳しているのか不安にさせる。

モラル・アニマル〈上〉

モラル・アニマル〈上〉

進化心理学の啓蒙書。主に生殖(恋人選びから出産、子育てまで)と道徳にかんする進化心理学の成果を紹介しつつ従来の考え方への見直しを説く。進化心理学の議論のケーススタディとしてダーウィンの人生における諸事件が選ばれているのはおもしろいが、進化心理学については15年前に出版された本であることを考慮する必要がある。また議論が全般的に雑で、社会的に大きな影響を与える事柄(一夫一妻制の可否など)について貧弱な証拠から壮大な議論を行っている。アマゾン書評によると抄訳だそうだし、参考文献は一部の文献しかないし、竹内久美子氏(監訳者)の変なエッセイが冒頭に載っているし、ピンカーの入門書があるいまは取り立てて読む必要があるとも思えない。

将棋の子

将棋の子

将棋のプロの養成機関である奨励会に入りながらもその夢をたたれた元少年たちの物語。将棋連盟に勤める著者が同郷の元奨励会の友人から住所変更の連絡をもらい、彼に会おうするところから話は始まる。その友人の人生を縦糸に、ほかの夢やぶれた元奨励会の人々のそれからを横糸に、そう若くない時期に「将棋の神童」から「プロになれなかった敗者」に落ち込まざるをえなかった人々を描く。それらの人々がつらいのは将棋のプロになるための修行が、もしプロになれなければキャリアとしては全くなんの意味も持たずつぶしがきかないところである。本書で横糸となる人たちの人生は、まあ将棋のプロにはなれなかったけど、それぞれに自分の生きる道を再発見してうまく軟着陸しているのだが、縦糸となる著者の友人は夜逃げ・借金と世間的には非常に悲惨な境遇に陥ってしまう。しかし著者はその友人が、奨励会を退会しプロへの道をあきらめるときにもらった駒を大切にとっておいていることを発見する。著者はそれで将棋が彼の人生の意味の中心に位置していることをさとり、将棋は優しい、将棋は彼を見捨てなかった、とつぶやく。その友人の場合はなぜ競争に勝ち抜けなかったかというのは割合はっきりしているようにも思えるのだが、誰が四段になるかが(四段になるとプロとして認められる)ほとんど運によって決まったようなケースも紹介しており、プロになるということ、そして人生というものの過酷さ・わけのわからなさが、「敗者」の人生に、「もしかしたら」という奥行きをあたえている。