まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

Why We Cooperate

Why We Cooperate (Boston Review Books)

Why We Cooperate (Boston Review Books)

  • 作者: Michael Tomasello,Carol Dweck,Joan Silk,Brian Skyrms,Elizabeth S. Spelke,Deborah Chasman
  • 出版社/メーカー: The MIT Press
  • 発売日: 2009/08/28
  • メディア: ハードカバー
  • 購入: 4人 クリック: 75回
  • この商品を含むブログ (7件) を見る

を読んだ。ヒトを他の動物から分ける大きな特徴として個体同士の協力に着目するのは一つのトレンドだが*1、それに関する研究を簡潔に議論する本。マイケル・トマセロが100ページあまり最近の研究を自らのものを中心に紹介し、シルクやスカームズといったこの分野の他の重鎮がそれにコメントをするという構成になっている。

協力の進化

トマセロが執筆した第一章では、ヒトが幼児期から個体同士が協力し合うマインドセットをもっていることが示される。ある実験では、まったく縁戚関係のない大人が困っている状況をみたとき、一歳半の乳児でさえ大人を助けようとする(たとえば両手がふさがっている大人の前のドアを開けてあげようとする)ことを示す。

これに対してチンパンジーでは協力行為はまれである。たしかにチンパンジーの母親は子どもにせがまれて食物を分け与えることがある。しかし、多くの場合母親は子どもからの要求を拒否し、分かち合いをする場合でも、子どもに与えるのは食べ物の中でもかたい食べにくい部分であることがほとんどであるという。またアラーム・コールやフード・コールを出すときでも、そのコールの情報的内容にはコールの有無は影響されない。そこに食料があることが群の他の個体にとって既知だろうが未知だろうが、個体はフード・コールを出すのである。

協力の制度化

こうした協力行動への強い傾向性がヒトに備わっていることを確認したあとで、トマセロは第二章でそれがどのように発達的に制度化されていくかを記述する。

ヒトの協力行動は、友達の引越で荷物を一緒に運ぶときに見られるようなナマの協力だけに関わるものではない。むしろ人間社会の特徴として、協力行為が慣習となり制度化されていることが挙げられる。例えば「スーパーマーケットでモノを買う」ということが円滑に進むためには、スーパーマーケットとはどういうところか、またそこでの約束事(商品を得るにはお金を払わなくてはいけない、お金はレジで払う、商品の値段は商品があるところに書いてある、など)を皆が理解していなくてはいけない。第二章では、こうした制度化を可能にするような「慣習」への理解がヒトではかなり早い時期から始まっていることが示される。

発達的観点から見た場合の協力の制度化への一つの契機は、共同注意である。たとえばヒトでは幼児でも「対象を指さして注意を向けさせる・指さされたものに注意を向ける」ことが生じるが、チンパンジーはそうではない。このように、共同注意に関してチンパンジーとヒトの間でそれなりに顕著な違いが見られることは、前に読んだ『ソーシャル・ブレインズ』

ソーシャルブレインズ―自己と他者を認知する脳

ソーシャルブレインズ―自己と他者を認知する脳

でも指摘されていた論点である。*2

こうした共同注意を一つの契機として、ヒトは哲学者のサールがいうところの「〈われわれ〉志向性」(We-intentionality)を成り立たせている。つまり「わたしはこう思う」「わたしはこうする」というレベルだけではなくて、「われわれはこう考える」「われわれはこうする」という一段上のレベルの志向性が成り立っているのである。チンパンジーにはこうした「〈われわれ〉志向性」はない。たとえばチンパンジーが共同で狩りをするとされた事例でも、実際に生じているのは個体が全体のパフォーマンスに留意して行為する協力行為ではなく、個体が自分の利益に追求していった結果生じるようないわば「なんちゃって協力行為」であるとトマセロは述べる。

さらにヒトでは幼い時期から制度や慣習の規範的性格を理解していると論じられる。たとえば、ゲームを遊ぶ中で「棒きれをウマと見なす」ことを教えられた幼児は、後にゲームに参加したパペットがそれに従わないとパペットに注意し、上の見なし行為に従うことを要求する。トマセロによれば、これは幼児がゲームのルールを慣習に基づく構成的ルールとしてその規範的側面を理解していることを示すのである。

シルク:相互利益主義ではなく利他主義が協力の主要因[→見出しが内容の逆だったので修正しました(Dec 8)]

こうしたトマセロの議論に対してさまざまな論者がコメントをしているわけだが、ここではシルクのコメントを紹介する。シルクは、ヒトの協力現象を説明するときにトマセロが利他行為(altruism)ではなく相互利益行為(mutualism)が重要だとしていることに異議を唱える。シルクの基本的論点は、相互利益行為は、共同で狩りをするときのように各プレイヤーが共同行為からその場で受け取る利益が同じ程度でなくては利己的行為へ崩壊してしまうが、それが成り立つのは非常にまれな場合のみであるという点だ。

むしろ利他行為のほうが協力現象の解明には重要である。シルクは二つのポイントを上げる。ひとつは、ヒトにはより大きな共同体の利益に快を感じる傾向性があることである。こうした傾向性をもつ個体は協力の成功それ自体に快を感じるから、利他主義を通じて協力の成立に資する。もうひとつは

チンパンジーは共同作業において効果的に協働することができるが、その同じ個体が他の個体の福祉にはほとんど関心を示さない。...これは相互利益行為に必要なマインドセットが利他的な協力に必要なマインドセットと非常に異なっているからかもしれない(118)

という点である。したがって、利他主義のほうが協力現象の成立のためにはより重要な至近要因であるわけである。*3

*1:たとえば『Why Humans Cooperate: A Cultural And Evolutionary Explanation (Evolution And Cognition Series)』、『SuperCooperators: Altruism, Evolution, and Why We Need Each Other to Succeed』、『Thought in a Hostile World: The Evolution of Human Cognition』が思い浮かぶ。

*2:たとえば、アユムの場合、共同注意には必要な実験者と被験者の間の「見つめ合い」がまったく起こらなかったし、実験者による背後の指さしに追従した後は、次の思考が始まるまでその方向に注意が向けられたままになってしまうという。

*3:なお本書の翻訳プロジェクトが、おぷてぃかるふろっぐ先生の下で進められている。