まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

齋藤孝「質問力」

質問力 ちくま文庫(さ-28-1)

質問力 ちくま文庫(さ-28-1)

を読んだ。よい質問をするための方法を教える本。著者はこれからの社会を生き抜くためにはコミュニケーション能力が大切で、それは「はじめて出会った人と三分で深い話をする能力」と特徴づける。そしてそうした能力のためには〈深い対話〉へと導くための質問力が重要だと述べ、そうした技法を解説する。

しかしよい質問をするためには、よい質問とはどういうことかを簡単にでも知っておかなくてはならない。したがって著者は何とかして「よい質問」とはどういうものかを説明しようとするのだが、応用に役立つ仕方でうまく説明されていない。たとえば著者は、よい質問とは「具体的かつ本質的な質問」だと言うのだが、それを知っても次からよい質問ができるとは思えない。

本書のもう一つの(そして深刻な)問題は、この「質問力」を身につけてどういう役に立つのかわからないところだ。これは、この本に出てくる例の多くが雑誌の対談である点に現れている。雑誌の対談とは、相手が語るに足るものをもっていてそれを純粋に知りたい、という動機付けがある場合のコミュニケーションである。これは普通の会話、つまりはことばを介したグルーミングとは異なる。

そしてこうした「深い」コミュニケーションをおこなう機会が日本社会の中でどれだけあるだろうか。仕事としてインタビューをする人にはもちろん役立つだろう。しかしたとえば大学生がこうした質問力を身につけて就職の役に立つだろうか。就職の面接でこんな深い会話をする必要はほとんどの場合ないのではないだろうか。

とはいえ、この本ではたくさんの「よい」質問の例を提供しているので、よい質問をしたいと思う読者は――著者の理屈付けに同意しなくても――例にたくさん触れて、その中から自分なりの「よい質問」の仕方を学ぶことができる。

例えばよい質問をする一つの方法は、話から導き出される(ひろい意味での)論理的帰結を考えることだ。黒柳徹子淀川長治にした質問――「(『日曜洋画劇場』で映画を)800本も紹介していたらおもしろい映画ばかりではないでしょう」――がひとつの例になる。これは「800本の映画を紹介した」という淀川についての事実と「よい映画はそう多くない」という一般的な常識を組み合わせることで出てくる。このように「よい質問」の例について「それを思いつくにはどのようにアタマをはたらかせればよいか」を考えれば、よい質問を思いつくための技法を得る役に立つだろう。