まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

科学者の歴史についての四冊

教えている「科学史」の授業で、どのようにして科学者が今のようなあり方になってきたのかについて講義した(専門用語では「科学の制度化」という)ので、その準備に使った四冊を紹介。

科学の真理は永遠に不変なのだろうか (BERET SCIENCE)

科学の真理は永遠に不変なのだろうか (BERET SCIENCE)

この本の第五章「科学者はいつから存在していたのだろうか?」はこのテーマに関心を持ったらまず読むべき。「学会」というものがない時代に科学研究者がどのように研究をしていたのかの解説から、アカデミーの成立、「科学者」という言葉の起源まで非常にわかりやすく書かれている。著者は周知のとおり仏王立科学アカデミーを題材に博士論文を執筆しており、信頼性の問題はない。この章がすぐれているのは単にテーマに沿って事象を並べるだけではなくて、きちんと「この時期はこういう感じ、この時期はこういう感じ」と出来事を整理して叙述している点である。

科学の社会史 (ちくま学芸文庫)

科学の社会史 (ちくま学芸文庫)

このテーマについてもう少し知りたいと思ったら是非読むべき本。この本は科学者と社会の関係に関する通史を扱っているが、その中でいくつかの章(第三章、第六~八章など)がこのテーマに充てられている。著者は化学史を専門としているので化学についての記述が多いが、テーマについて詳しく知るには問題ない。それまでの専門研究をきちんとサーベイしており信頼性に問題がないにもかかわらず歴史を明快に描くという一級の教科書の美徳をすべて兼ね備えている名著。

社会の中の科学 (放送大学教材)

社会の中の科学 (放送大学教材)

この本は『科学の社会史』と同じテーマを扱っているが、放送大学の教科書ということで前掲著よりはライトな書き方になっている。第七章から十一章までが科学の制度化に充てられている。各章には参考文献が挙げられているので、もう少し勉強したい人にはよいガイドになるだろう。

パトロン期からアカデミーが発達した時期までの科学者について、どちらかというと彼らの科学的業績以外のところから迫った本。たくさんの科学者が取り上げられていて辞書的に使うのは便利である。ただ、著者は科学史を専門とする研究者ではなく、またほとんど参考文献が書いていないので、信頼性に不安がある。例えばガリレオがピサ大学を辞職したのはトスカナ大公のコジモ一世の庶子が設計した浚渫機(港の海底の土砂をさらう道具)を嘲笑したせいだと書かれている(85頁)が、ガリレオ―庇護者たちの網のなかで (中公新書)にはそれは疑わしいとされている(40頁)。もちろん後者が間違っている可能性はあるわけだが、後者の著者は科学史の専門教育を受けたガリレオの専門家であり、おそらくその確率は低い。