まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

パーフィットと種問題

振られた(?)からには、ぼけるのが関西人。

そういえばパーフィット流還元主義は生物学的種概念の論争にも 応用可能じゃないかと昔から思っているのだがちゃんと比べてみた人はいないのかな。 ちょっと検索した感じではひっかかってこない。[6月12日の記事]

http://www.yonosuke.net/~iseda/diary/

わたしはパーフィットにはそんなに詳しくなくて、1971年の論文を読んだぐらいなのですが(汗)。(「生物学的種概念の論争」というのはMayrのBSCに限られるのではなくて、生物学における種の問題、ぐらいの意味でしょうか。)

わたしの知る限りではパーフィットを直接応用して種問題の解決にヒントを与えたような論文はありません。たとえば、Kitcher(1989)はWigginsのfissionの例の種バージョン(つまり二分岐の種分化ということですが)について議論していますが、問題の指摘にとどまっています。またSplitter(1988)は同じようなテーマを種を主題にして部分的に扱っていますが、パーフィットを応用するという感じではないようです(ただし、わたしはabstractを読んだだけです)。

ただ、

人格の同一性そのものではなくて、その下にあると考えられがちな関係(心理的結合性[connectedness]・連続性[continuity])が重要だ、

というパーフィットのポイントを、

種の時間的同一性(あるいはもっと広くとって種をどう定義するか、という話)そのものではなくて、その下にあると考えられる関係(系統的関係・生態的関係・相互交配の関係など)の方が重要だ

というようにアナロジカルにとると、たとえばFelsensteinの「分類なんかどうでもよい派」(-->系統の情報の方が大切、三中 1998)や、「種」という概念をもっとましな概念に置き換えようとする様々な試み------いわば種の排除主義(eliminativism)------と通じてきます。

文献
1. Kitcher P: Some puzzles about species. (In) What the Philosophy of Biology is. Kluwer Dortrecht: Holland, 1989
2. Splitter L: Species and identity. Philosophy of Science 55:323-348,1988
3. 三中信宏: 生物系統学. 東京大学出版会,1998