クワインとソーバーは、全体としてヒトの理性が自然選択によって進化してきたというシナリオに好意的な立場だった。これに対してスティッチは
The Fragmentation of Reason: Preface to a Pragmatic Theory of Cognitive Evaluation (MIT Press)
- 作者: Stephen Stich
- 出版社/メーカー: A Bradford Book
- 発売日: 1993/03/02
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スティッチは、こうした「自然選択→理性」説は次の二つの前提をもっているという。
1. 自然選択は、うまくデザインされた性質・システムを生み出す。
2. 最適にデザインされた認知システムは、理性的なシステムである。
こうした前提から、次の結論が導き出される。
3. 自然選択は理性的な認知システムを生み出す。
彼は「自然選択→理性」説をこのようにまとめた上で、上の前提の問題点を指摘していく。(1)に対するスティッチの批判は、適応主義批判として標準的なものだ。つまり、自然選択は形質を形作る唯一の進化的要因ではない。遺伝的浮動、多面発現、ヘテロ超優性といった他の要因が影響を与えているかもしれない。
また、ある性質が自然選択によって進化したとしても、個体にとって都合のよい性質が進化するとは限らない。マイオティック・ドライブにおけるように、自然選択の働く方向が生物個体レベルと遺伝子レベルで異なっているかもしれない。心的メカニズムの進化は基本的に生物個体に直接的益がある進化だから、遺伝子レベルの進化がそれと反するなら、個体レベルの進化は妨げられることになる。また、遺伝子間の相互作用が線形にならない可能性についても言及する(p.66-7)。
第二の前提を批判するときスティッチは、クリストファー・スティーブンスが「〈転ばぬ先の杖〉論法」(the better-safe-than-sorry argument)と呼ぶものに訴える。上の前提(2)を支持する一つの議論は、次のようなものだ。もし認知システムが理性的なら、そうしたシステムは真なる信念を生み出す可能性が高い。そしてそのようなシステムは、偽であるような信念を生み出しがちなシステムよりも適応度を上げるだろう。
スティッチの「〈転ばぬ先の杖〉論法」は、この第二の点――真なる信念を生み出すシステムのほうがそうでないシステムよりも個体の適応度を上げる――に異論を唱える。つまり、偽なる信念を生み出しがちなシステムのほうが適応度が高いことがあり得る、というのだ。
これはある信念が真だったときの利得と偽だったときの損失が非対称的なときに生じる。たとえば、ハイキングしていて、ちょっとおなかがすいたときにキノコが生えているのを見つけたとする。ここで二つの信念「このキノコは食べられる」「このキノコは食べられない」という二つの信念の適応度への貢献を考えてみよう。各信念についてそれが真だったとき/偽だったときの利得は次のようになる。
毒あり | 毒なし | |
---|---|---|
信念「食べられる」 | a | b |
信念「食べられない」 | c | d |
aは例えば、キノコが実際は毒キノコであるのに「このキノコは食べられる」と考えたときの得失を表す。では、このような環境の下でこの先生・きのこるには、いやこの先・生きのこるにはどのような信念を持てばよいだろうか。
それはa-dの大きさによる。もしキノコの毒が非常に強いもので、無毒なキノコを食べたときの利益が非常に薄いなら(例えばa=-100, d=2)、キノコについての信念に関してわれわれは「安全策」をとった方がよい。つまり無毒のキノコを「有毒だ」と間違う方が、有毒のキノコを「無毒だ」と間違うよりも適応度を高める。
しかし、こうした安全策は、真なる信念を得るという点からいうと好ましくない。なぜなら安全策に従うと、実際は安全なキノコに対しても「有毒で危険だ」と誤った信念を持つ割合が高まるからである。したがって、スティッチは、真なる信念を生み出すシステムのほうがそうでないシステムよりも個体の適応度を上げるとは言えないと結論する。
この点を、同様の批判を呈したエド・シュタインは、
- 作者: Edward Stein
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