まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

How Languages Are Learned:早期教育について

How Languages Are Learned (Oxford Handbooks for Language Teachers)

How Languages Are Learned (Oxford Handbooks for Language Teachers)

を読んだ。これは欧米の第二言語習得研究(Second Language Acquisition, SLA)で定番の教科書だ*1。同じ分野では前に白井恭弘氏の本を紹介したが、この本は白井氏とは同じ方向を向いているといえるものの、強調点が異なるので、読んでいて参考になった。またSLAの重要な研究をたくさん紹介しているのも良い。ということでこの本から二点議論を紹介する。

ひとつは外国語の早期教育についてだ(3章、6章)。

著者たちは、外国語をはじめた時期がその後の熟達に影響を与える例があることを認める。たとえば米国の移民を調べた研究では、ネイティブスピーカーに近い熟達度を(発音だけでなく会話の自然さにおいて)獲得した移民はほぼ例外なく15歳以前に移民してきた人であるという結果を挙げる。あるいはある英語の文が文法に合っているかを調べるテストでも、何歳の時に米国に移住したかがテストの成績に大きな影響を与えていることがわかっている。その意味で確かに学習開始年齢はその人の運用能力の熟達度に関係があり、特に移住などで「自然な」シチュエーションで言語を学習する場合には影響力が大きい(95)。

しかし、この知見を外国語教育の枠の中で単純に適用するには問題がある、と著者たちは注意する。まず学習の初期に限ってみると、早期に学習をはじめるよりも後ではじめる方がより早く学習が進む。これは年齢が上がるにつれてさまざまな認知的能力が向上するため、それが後発者に有利に働くからである。また、もっと重要なことには、スペインで行われた英語の早期教育プロジェクトの結果を見ると、実際のところ11-18歳以上から習い始めた学習者の方が8歳からはじめたよりもほとんどすべての尺度で成績が良かったということがわかっている(98)。

どうしてこういうことになるのだろうか。著者が指摘するのは、このプログラムでは子供たちが英語教育を受ける時間が限られていたことである。これが上で述べた米国への移民との大きな違いだ。つまり、英語に触れる時間が少ないまま学習時期を早くしても効果はないというわけだ。さらに英語に触れる時間が少なく、進歩があまり見られないと、学習者にはストレスがたまる。「中高大と英語を10年勉強してきたが・・・」というのはよくある嘆きだが、それが「小中高大と英語を12年勉強してきたが・・・」に変わるだけ(というか、もっと悲しくなる)のである。

だから「いつはじめるか」ということだけでなく「どれだけ英語に触れるか」ということも重要であり、著者は〈もし「ある言語をネイティブ同様に運用できる」ことを目的にするのなら、早い内からその言語に集中的に触れさせることが望ましい〉と述べる(97)。しかしこうした「イマージョン教育」には副作用がある。それはよく言われるように第二言語の早期集中教育は第一言語の発達に悪影響を及ぼすことがあるからである。この問題は特にマイノリティの人々には重要である。言語的マイノリティの人々の中には家で使う言語と学校で使う言語が異なる場合がある。そうした場合、子供は学校で勉強について行くことができなくなってしまう可能性が高い。たとえばカナダのイヌイットエスキモー)の子供たちは、家ではイヌイットの言語を使い学校ではカナダの公用語(英語か仏語)を使うが、学校の勉強には非常に苦労している(176)。ある研究者によれば、「外国語で○○を教える」場合、年齢相応の認知的に高度な事柄を母国語同様に学習できるようになるには5-7年かかると言われる。こうしたラグはマイノリティの人々には重くのしかかる。小中の時に教科を十分に学習できないので、成績においてハンデがかかるわけである。