まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

家事分担の進化ゲーム

家事分担は結婚している夫婦の間で頻繁に問題になる事柄の一つだ。家事の負担は多くの場合妻に偏っており、妻はそれに不満を感じていることが多い。これは女性がフルタイムの仕事を持つことが例外ではなくなった現在でもそうだ。どうしたこういうことが生じるのだろうか。大浦宏邦氏の著書

社会科学者のための進化ゲーム理論―基礎から応用まで

社会科学者のための進化ゲーム理論―基礎から応用まで

は以下の進化ゲームを使ってどうして一方に家事負担が偏りがちなのか説明している。

家事分担ゲームの概要

このゲームの前提として、家事をすることの利益をb、家事をすることのコストをcとする。そして夫婦両方が家事をしたときのコストはそれぞれc/2となることとする。するとこの場合の利得表は以下のようになる。

夫\妻 家事する 家事しない
家事をする b-c/2, b-c/2 b-c, b
家事しない b, b-c 0, 0

表のセルに二つ数字があるのは、最初が夫の利得、あとは妻の利得を表している。例えば夫婦双方ともに家事をするときは各プレイヤーの利得は、家事をすることの利益bからそのコストc/2を引いたb-c/2ということになる。夫が家事をして妻が家事をしない場合は、夫の利得はb-c、妻の利得はbである。

この場合で静学的な分析を行うと、どういうことがわかるだろうか。家事をすることの利益bがコストcを上回っていることを前提とすると、つぎの三つの状態がナッシュ均衡になる。すなわち、

  • 夫だけが家事をする状態
  • 妻だけが家事をする状態、あるいは
  • (夫:2/3 の確率で家事をする、妻:2/3 の確率で家事をする)という状態

である。

ナッシュ均衡というのは平たくいえば〈それが成り立っている状態から戦略を変えても、手を変えたプレイヤーが得をすることがないような状態〉である。したがってナッシュ均衡がいったん成立すると、双方にとって戦略を変える動機付けがなく状態は一般に変化しない。

この場合家事の負担がつねにどちらかに偏る状態が生じるとは言えない。たしかに前二者の状態のいずれかが成立すると、一方だけが家事をすることになり、双方に戦略を変えるインセンティブが存在しない状態になる。しかし、このような静学的な分析では「いったんXという状態になったときにそれが安定した状態かどうか」ということはわかるが、「そもそもそうした状態に至る確率がどのくらいあるか」はわからないので、そうした状態がどのくらいの確率で現れるかはわからない。またもし第三の状態が成立すると、双方ともに同じ確率で家事を負担する状態が到来することになる。

試行錯誤ゲームの導入

大浦氏はその上で、これを試行錯誤ゲームという学習を取り入れた進化ゲームの一種に基づいて動学化する。ここではまず(1)初期状態として夫と妻の戦略の組み合わせに関して様々な状態を考える。その上で(2)そこから最終的にどういう戦略の組み合わせの状態に至る確率が高いかを考えてみようというのである。これで上で欠けていた「ある状態に至る確率がどのくらいあるか」ということがわかることになる。

このある状態から次の状態への移行メカニズムとして試行錯誤的学習を取り入れたのが試行錯誤ゲームである。このゲームでは、プレイヤーはある戦略を試してみてそれがうまくいけば(他の戦略よりも有利な結果が得られれば)、その戦略を採用する可能性を高め、そうでなければその戦略の採用可能性が横ばいか低くなる。つまりここでは、経験によって夫や妻が家事をするかしないかの確率が更新されていくことを前提として、最終的にどういう状態に至るかを考えていることになる。

ではそうしたダイナミクスのもとではどういう状態が生起しやすいだろうか。じつは初期状態から十分な時間が経つと、どんな初期状態から出発しても、一方が家事の負担をすべて引き受けるという状態に到達することがわかっている。すなわちどんな夫婦も「夫がすべての家事をする状態」か「妻がすべての家事をするという状態」のいずれかに至る。

そしてどちらの状態に到達するかは初期状態によって決まる。つまり初期状態として「妻のほうが夫よりも家事をする時間が少し長い」ということであれば、その差がダイナミクスによって拡大の一途をたどり、最終的には妻のみが家事をするという状況になるわけである。

したがって試行錯誤ゲームでは、夫と妻のどちらかが一方的に家事を負担するという状況が必ず生じ、双方が公平に負担する状況にはならないことがわかる。しかしここでも状況はある意味で公平である。というのは夫と妻のどちらが家事を一方的に負担する状況になるかは初期条件に左右されるだけだからである。

夫の機会費用

しかし、夫の機会費用を考慮すると、妻は夫に比べて大幅に不利になる。ここでの機会費用とは、夫の収入が妻のそれよりも高いことを前提にすると、夫が家事にかける時間のコストが妻のそれよりも高くなってしまうということである(夫が家事にかける時間を仕事にかければ、妻からのよりも高い収入が得られる)。

ここで「夫の高機会費用+学習ダイナミクス」を組み合わせると、広い範囲の初期条件で、「妻のみが家事をする」という状況が最終的に安定的になることがわかる。例えば結婚当初は夫婦が同じ確率で家事をしていたとしても、ダイナミクスを通じて妻のみが家事をする状態に至る。

この考察から大浦氏は、夫婦が同じ時間家事をする状態は安定的でなく、維持するのが難しいことを指摘する。これを解決する手段として大浦氏は、男女が同等に家事をする世帯に補助金を与えたり、夫の機会費用を下げることが考えられると述べている。