まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

不平不満研究事件について

不平不満研究事件(「フェミニズムソーカル事件」と呼ばれることもある)について、ラゲルスペッツ(Lagerspetz)という社会学者の論文を読んだので、それを簡単に紹介したい*1

事件の概要

不平不満研究事件(The Grievance Studies Affair)とは、2018年にピーター・ボゴシアン、ジェームス・リンジー、ヘレン・プラックローズの三人の研究者(以下BLP)が、彼らが「不平不満研究」(Grievance Studies)と呼ぶものを対象にしていくつかの学術雑誌に偽論文を投稿し、その一部が採択されたというものだ。

三人の説明では、「不平不満研究」とは具体的にはジェンダー研究・批判的人種理論・ポストコロニアル理論や、他の「〇〇理論」と呼ばれるものに基づく分野(人文系だけでなく、社会学や人類学を含めた社会科学にも存在する)のことを指す。これを彼らがなぜ「不平不満研究」と呼ぶかというと、こうした研究が自らを「〇〇スタディーズ(〇〇研究)」と呼ぶことが多く、加えてこうした研究が特定のアイデンティティを持つグループの不平不満に焦点を当ててそれをたきつけるからである。*2

このプロジェクトではBLPは不平不満研究を構成する様々な分野の学術雑誌を標的にして、わざと論理的・倫理的に深刻な問題を含めた、しかしその分野の先行研究を参照して分野の専門用語をちりばめた偽論文を作成して投稿した。

このプロジェクトで彼らが示そうとしたのは、不平不満研究では探究の方法や議論に深刻な論理的・倫理的問題があっても、引用や専門用語でその分野の論文の外見を繕ってかつ分野のイデオロギーに合致していれば採択されるということだ。そしてこれはこの分野が特定のイデオロギーに駆動されていて腐敗している(corrupted)ことを示すという。

BLPは不平不満研究の腐敗を証明したか?~ラゲルスペッツの議論

ラゲルスペッツの論文はBLPのこの主張を検討する。具体的には、三人が投稿した論文のうち採否がはっきりしている16論文・21件のケースを分析し、そこからBLPが主張していることが言えるかどうか検討した*3。そして検討の結果、彼はBLPの主張は額面通り受け取れないと述べる。

例えば彼は偽論文を採択した雑誌とリジェクトした雑誌のインパクトファクター(IF)を比較して、両者のIFの差が統計的に有意なことを見いだした(論文の表2)。*4

また論文の採択率は論文の分野や論文の種類によってことなる。BLPが投稿した偽論文は経験的データを集めてそこから考察した論文と、純理論的な論文に大別される。経験的な論文の例は``dog park''論文である*5。この論文では、著者は米オレゴン州ポートランドのドッグパークで一年間の間そこに集まるイヌ同士の性交/レイプ(humping/rape)を観察し、それが生じたイヌの性別ペア(雄/雌、雌/雌など)やそれに対する飼い主の性別と反応を記録し*6、飼い主がもつ男性中心主義やレイプカルチャー(レイプなどの性的暴力に寛容な態度を見せる社会傾向)がどのように飼い犬に対する態度に表れているかを明らかにしようとした。理論的な論文の一つは``HoH2''論文で、これは被抑圧者が抑圧者に対して行う冗談と抑圧者が被抑圧者をターゲットに行う冗談を比較して、前者がどのようにして抑圧者に対抗する役に立つか、そして後者がどのような意味で非難されるべきなのか問題なのかを論じた。

このように偽論文を区分した上で、ラゲルスペッツは経験的な論文の方が純理論的な論文よりも採択率が高いことを指摘する。例えば経験的論文では5回投稿中3回採択されたのに対して、理論的な論文では15回投稿中採択されたのは3回にすぎない。したがって新しい経験的データが得られたと主張することが偽論文の採否に大きく影響したことがうかがわれる。

さらに論文の分野も採択率に影響を及ぼす。偽論文のトピックおよび投稿する学術雑誌の分野には歴史や成熟度において大きな差がある。例えば肥満研究と社会学を比べると、前者の方が歴史も浅く方法論も成熟していない(結果としてIFも前者の雑誌の方が低くなる)。それを反映してか、偽論文の採択率は前者の方が後者よりも高くなっている。

これは次の論点にも関係する。このプロジェクトでBLPは査読プロセスにおいて査読者のコメントに対応して論文を改訂している。例えば上の``dog park''論文では第一ラウンドの査読で「修正の上再投稿」(revise and resubmit)という判定が下ったものの、その際の査読者のコメントに対応することで、第二ラウンドで採択という判定を獲得している。このとき、査読者には少なくとも二つの役割がある。一つは学術雑誌に掲載される論文に一定のクオリティを保証するゲートキーパーの役割であり、もう一つは投稿された論文が多少荒削りであってもそのよい点を見つけ出し励ましていくことである。

この二つの役割のうち査読者がどちらを優先するかは状況によって異なるだろうが、今回の審査では査読者が第二の役割をより強く果たすと想像できる理由があった。一つは上で述べたように偽論文が投稿された雑誌は歴史の浅い・成熟していない分野が大きかったことである。こうした分野では、厳しい審査基準を敷いて多数の論文をはじいていくことよりも、多少あらがあっても新規性のある論文を伸ばしていくことに焦点が当たりがちになるのは想像に難くない。

もう一つの点は、BLPの偽論文の多くはそれぞれの分野で新しいトピックに取り組んでいたことである。例えば``dog park''論文の「レイプカルチャーをイヌの性交/レイプへの飼い主への反応の中に見いだす」という試みは、人と動物の関係をフェミニズム的な問題設定から分析するということで、当該の分野から見ると新規性が十分あるように見なされたと解釈できる。

すると偽論文の査読プロセスでは、査読者は論文の長所短所を認めつつクオリティを上げていくのを手伝おうとしたし(これは例えば査読報告の分量が大きいことに現れている)、BLPもそれに応えて論文を改訂した。するとこのプロセスを通じて真剣に書かれた論文と偽論文のちがいはしだいにはっきりしなくなったとラゲルスペッツは述べる。さらにこうした新規性のあるトピックについて書かれた論文は――たとえその完成度に改善できるところがあっても――新たな議論を引き起こすという意味で学術的に価値のあるものとも言える。

すると「偽論文を採択したのだから、こうした学術雑誌はクオリティコントロールができていないのだ」という判断は査読の一方の機能しか見ていないことになる、とラゲルスペッツは示唆する。

ゲートキーパーの役割

しかし「そうはいっても査読者はゲートキーパーの役割も果たすべきだったのではないか」と考える人もいるかもしれない。これに対してラゲルスペッツは査読者がそうした役割を果たした例もあることを指摘する。

一つは経験的な論文の例である。例えば上の``dog park''論文で述べられた「観察」の記述には怪しいところがある。BLPが挙げているのは、この論文では著者はドッグパークに集まったイヌの性器を一万匹近く精査(examine)したと述べるが、それについて査読者からは何も指摘されなかったとする点である*7。BLPはこれをもって不平不満研究では方法論についてのまともな吟味がなされていないと示唆しているように見える。

しかしラゲルスペッツは、実際には査読者は偽論文の観察の問題点を指摘していると述べる。例えば(ラゲルスペッツの論文には書いていないが)``dog park''論文の査読報告を見ると、第三査読者は次の点に問題があると述べている*8

  • 性交/レイプに際してイヌがいやがっていることがどうしてわかるのか。
  • 「いやがっている」と判定するための理由はなにか。
  • またそうした判定を誤りなく行うための専門知識や訓練の経験(例えば動物行動のトレーニング)を著者が持っていることを示していない。

その上でラゲルスペッツは偽論文の著者がこうしたコメントにきちんと対応しており、自分がこの論文の最終版を見せられたとしても、(こうしたデータがでっち上げであることを知らなければ)この論文の方法論を受け入れるだろうと述べる。

また理論的な考察についても査読者が疑念を呈した例がある。具体的には偽論文の中でしばしば呈示される過激な構築主義(radical constructivism)については、査読の中で批判される例が多かったという。例えば``Feminist Bodybuilding''という偽論文が専門誌から却下された際のコメントは以下のようである。

女性のボディビルダー(より広くは女性アスリート)と彼女らが筋肉を増強する能力が、女性らしさについての社会的基準によって制限を受けている、というのは妥当な議論である。しかしこれは、女性に枠をはめてきたのは社会化だけであって生物としてのあり方は何の役割も果たしていないと言うことではないし、これを支持する議論を作るのはもっとずっと難しい。著者の主張は後者のように見えるが、適切に立証されているわけではない。*9

結論として、こうした点からラゲルスペッツは、このプロジェクトにおいてBLPが示したかったことは示されなかったと主張する*10

*1:いうまでもないことだが、このエントリはラゲルスペッツの論文をわたしの興味に従って紹介するものであり、論文にはこのエントリに書かれていない論点も多数ある。興味のある人は論文を直接読んでほしい。また、最後の注で述べるように、わたし自身の立場とラゲルスペッツの立場は異なることにも注意してほしい。

*2:ここやBLPのプロジェクトサマリー(これは彼らが公開している草稿と査読記録の入ったグーグルドライブのフォルダで手に入る)を参照。なお日本のネットではこの事件を「フェミニズムソーカル事件」と呼ぶことが多いが、上で見たようにBLPの対象はジェンダー研究だけではない。

*3:BLP自身が述べているように、このプロジェクトはウォールストリートジャーナル紙の記事になったことで当初の予定よりも早く終了した。したがって、終了時時点で最終的な採否が確定していない草稿が四本存在する。

*4:ただしこれをもって雑誌のランクによるクオリティの選別が働いていると考えるのは危険だし、ラゲルスペッツもそうは述べていない。というのは(ラゲルスペッツは述べていないが)偽論文の投稿先には様々な分野の学術雑誌が含まれるが、分野によってインパクトファクター(IF)の「基準値」は異なるからである。論文の多い活発な分野ではIFは高くなる傾向があるし、そうでない分野ではIFは低くなる。そうすると「活発な分野のn流誌のIF(n>1)>そうでない分野の一流誌のIF」ということが起こりうる。例えばBLPの偽論文を採択したHypatiaという雑誌はフェミニズム哲学の分野では最もプレステージの高い雑誌の一つであるにもかかわらずIFは1以下で、多くの経験科学分野の非一流誌よりも低い。するとこの雑誌に採択されたことで、その分野ではランクの高い雑誌に採択されたのに「採択された雑誌」というカテゴリーではそのIFの平均値が下がるということが生じうる。したがって、採択された雑誌の分野の組成と不採択の雑誌の分野の組成をそろえない限り、こうした比較はできないことになる。

*5:論文の名前はBLPがつけた略称・愛称。

*6:念のため述べておくと、もちろんこうした観察は捏造である。

*7:ここのPart II下から二段落目。

*8:この意味で上のBLPの言はミスリーディングだとわたしは考える。

*9:ラゲルスペッツの論文(ファイル16頁、雑誌だと417頁)から再引用。

*10:なお、このエントリを準備するにあたりわたしはBLPの論説や偽論文・査読報告をいくつか読んだが、わたし自身の立場は、「BLPの主張を額面通り受け取ることはできないが、ラゲルスペッツよりは不平不満研究に批判的になる」というものである。例えばラゲルスペッツの分析では``dog park''論文が採択されたことには学問上の問題はほとんどないということになるが、わたしはこれには同意しない。ただこれを展開するにはもっと準備が必要なので、またの機会にしたい。