ID論者と議論すべきかそれともあざわらうべきか
ドーキンスのID論に関する以下のコメントがちょっとした話題になっている。抜粋すると
I suspect that most of our regular readers here would agree that ridicule, of a humorous nature, is likely to be more effective than the sort of snuggling-up and head-patting that Jerry is attacking. I lately started to think that we need to go further: go beyond humorous ridicule, sharpen our barbs to a point where they really hurt.
Michael Shermer, Michael Ruse, Eugenie Scott and others are probably right that contemptuous ridicule is not an expedient way to change the minds of those who are deeply religious. But I think we should probably abandon the irremediably religious precisely because that is what they are ? irremediable. I am more interested in the fence-sitters who haven’t really considered the question very long or very carefully. And I think that they are likely to be swayed by a display of naked contempt. Nobody likes to be laughed at. Nobody wants to be the butt of contempt.
要約すると、いままでドーキンスはID論に対抗する手段として証拠に基づいた議論を使ってきた。しかし今は、とくに態度を決めていない中間派(fence-sitters)を取り込むには正面からの議論よりも辛辣なユーモアを使った方がよいのではないか、と考えている。
これに対してはMassimo Pigliucci(この本
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しかしそのほかにも、このコメントには問題がある。たしかに、進化論の支持者を増やすためにドーキンスが中間派に着目したのは正しい。一般的な傾向として、ヒトは証拠に基づいて信念を改訂することが苦手なので、支持者を増やすには、まだ色が付いていない人をターゲットにすることが有効である。
しかし、中間派を取り込もうとするのに、笑いを用いるのは効果的ではない面がある。例えば、笑いは前提の共有を必要とすることが多く、それを共有しない人にとってはおもしろくない。特に内輪受けに走ったときにはそれが顕著になる。したがって、笑いで中間派を取り込もうとしても、それで取り込めるのはもともと進化論者にシンパシーを抱いていた人だけになるのではないかという危惧がある。とくに保守派は進歩派よりもユーモアのセンスに欠けているとなれば、笑いに頼ることで保守派(進化論に懐疑的なのはほとんど保守派)を取り込むことは望み薄になる*1。
また進化論者内の内輪受けの笑いが高じると、部外者に対して排外的な印象を与え、近づけなくなるおそれがある。例えば、証拠に基づいて進化論を支持する議論を掲示板でしていた場合、ID論者や中間派も比較的容易に口を挟めるが、内輪受けで盛り上がっているときに議論をふっかけても相手にされないだろう。
関連した論点として、ID論に社会的に対抗するためには、多くの人が正しい証拠・正しい議論を共有することが重要だが、内輪受けで盛り上がるだけになると、そうした共有よりもグルーミングのためにリソースが割かれることになるかもしれないことも問題点だ。
*1:ただしこの研究は、使っているコメディアンが保守派のパロディで有名なスティーブン・コーベア(Stephen Colbert)なので証拠として十分ではない。