まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

プライアーの哲学論文の書き方(1)

わたしの住んでいるところではおとついからスポーツの祭典が始まっているわけだが、わたしの周りではその前から知の祭典、つまり採点の祭典が執り行われている。

この知の祭典には、スポーツの祭典とは異なり、祭典の参加者がだんだん飽きてくるという特徴があり、祭典から逃げるものが多数あらわれる。かくいうわたしも祭典から逃げてきたものであり、ここではこの逃避を利用して、こちらで哲学のペーパーの書き方を説明するときに必ずといってよいほど参照される、ジム・プライアーのガイドラインを翻訳したい。

長いので、何回かに分けていきます(なお、すでにこちらに部分訳があります)。気分がおもむくままに(フリーダムに)訳していきますが、誤訳などありましたら、コメント欄などで指摘してください。

追記:二回目はこちら。三回目はこちら。そして第四回(最終回)

哲学論文を書くためのガイドライン ------- ジム・プライアー


哲学論文*1を書くことは、他のコースで要求されるような書き物とは違う。以下で書くやり方のほとんどは、他のコースで何かを書くときにも役立つだろうが、しかしすべてがすべてそうだとは即断しないでほしい。また、他の先生が与えたライティングについてのガイドラインが、哲学論文を書くときにすべて重要だとも思わないでほしい。すぐれた哲学の散文は、こうしたガイドラインのいくつかを破っているのである(例えば以下の文法についてのガイドラインを参照)。

目次

  • 哲学の論文とは何をするものなのか
  • 論文を書くときの三つの段階
    • 初期段階[きょうはここまで]
    • ドラフトを書く
    • 書き直すこと、そして書き直し続けること
  • 細かい点[この翻訳では省略]
  • どのように採点されるか

哲学の論文とは何をするものなのか

1. 哲学の論文は、ある主張を筋道立てて擁護することからなる。


あなたの論文は、議論を提供しなくてはならない。論文が単にあなたの意見を報告するものであってはいけないし、また議論の対象となる哲学者の意見を単に報告するものであってもいけない。自分が行う主張を擁護しなくてはいけないし、そうした主張を信じるための理由を提供しなくてはいけないのである。

だから、単に

わたしの考えはPである。

とだけ言ってはいけない

以下のようなことを言わなくてはいけない。

わたしの考えはPである。わたしがこう信じるのは...だからである。

あるいは、こうでもよい。

わたしは以下の考え...が、Pを支持する説得力のある議論を提供すると考える。

同様に、単に

デカルトはQと述べている。

とだけ言ってはいけない。そうではなくて次のようなことを言わなくてはいけない。

デカルトはQと述べている。しかし以下の思考実験はQが真でないことを示している...

あるいは、こうでもよい。

デカルトはQと述べている。わたしはこの主張には信憑性があると思う。これは以下の理由による...


哲学の論文が行おうとすることにはさまざまなものがある。ふつう哲学の論文はあるテーゼや議論を検討のために俎上に載せることから始まる。続いて、以下の一つか二つを行う。

  • その議論を批判する。あるいはそのテーゼを支持するある議論がよいものではないことを示す。
  • 誰か他の人の批判からその議論やテーゼを守る。
  • そのテーゼを信じるべき理由を与える。
  • そのテーゼへの反例を与える。
  • そのテーゼについての二つの相反する見方について、その長所と弱点を対比する。
  • そのテーゼを説明するのに役立つような例を与える。あるいはそのテーゼの信憑性をあげるのに役立つような例。
  • ある哲学者は、彼の他の考えによって、そのテーゼにコミットしている------ただしその哲学者はそのテーゼを表立って明示的に支持しているわけではないが------と論じる。
  • そのテーゼが正しかった場合どういう帰結になるか議論する。
  • そのテーゼを、反論に基づいて改訂する。

こうした目的の内どれを自分に設定するにせよ、自分の主張を支持する理由を明示的に与えなくてはならない。学生はよく、ある主張が真なのは自分には明らかだから、議論は大して必要ないだろう、と感じることがある。しかし自分の立場の強さを大げさに見積もることはとてもたやすい。結局のところあなたはそれをもうすでに受け入れているのだから。読者はまだあなたの立場を受け入れていないと考えなくてはならない。自分の論文をそうした読者を説得するための試みと見なさなくてはならないのである。したがって、反対者が確実に拒否するような仮定から話をはじめてはいけない。もし人々を説得する可能性があるようにするのなら、みんなが同意するような一般的な仮定から話を始めなくてはいけない。

2. よい哲学の論文は、控えめであり、小さな点についての主張をする。しかしその主張をクリアに直接的に述べ、それを支持するよい理由を提供する。


人々は非常にしばしば、一本の哲学論文で、あまりに多くのことを成し遂げようとする。この結果できる論文はふつう、読みにくく、そしてその主張の多くは不適切な仕方で擁護され、うまく説明されていない。だから過度に野心的になってはいけない。5-6ページの論文で革命的な結論をうちたてようとしてはいけない。うまくいった場合、哲学はゆっくりと進むのである。

3. オリジナリティ


こうした論文の目的は、あなたが文献を理解したこと、それについて批判的に考えることができることを示すことである。このためには、あなたの論文は、独立した思考をある程度示さなくはならない。

これは、自分独自の理論を思いつかないといけないとか、人類がなしてきた思想に対して完全に独自の貢献をなさなくてはいけない、という意味ではない。そういうことを行う時間は後にたっぷりある。理想的な論文は、クリアで直接的であり(以下を参照)、ある考えを他の哲学者に帰するときに正確で(以下を参照)、われわれが読んだテキストに対する批判的で思慮深い応答を含んでいる。論文がつねにまったく新しい地平を築く必要はない。

しかし、自分独自の議論を思いつくよう試みなくてはいけない。あるいはクラスで見た議論について、自分独自の仕方で、それを彫琢・批判・擁護するよう試みなくてはいけない。他の人がいったことを単にまとめるだけでは十分ではない。

論文を書くときの三つの段階

1. 初期段階


哲学の論文を書くときの初期段階には、机に座って第一稿を書く前にすることすべてが含まれる。この初期段階には書くことが関係するが、しかし論文全体を書こうとするわけではない。そうではなく、読んだものについてノートをとったり、アイデアをスケッチしたり、あなたが提出したい主な議論の説明を試みたり、アウトラインを作ったりする。

問題について他人と議論する


上で述べたように、論文は、クラスで議論した論文について、あなたがそれを理解しており、それについて批判的に考えられることを示すものと考えられている。そうした論文をどのくらい理解したかチェックするもっともよい方法の一つは、その論文をよく知らない人に説明しようとすることである。哲学を教えていて、わたしは、自分ではわかっていたつもりの論文や議論を本当はうまく説明できないことがわかることが何度もあった。これは、そうした論文や議論が、思っていたよりも問題をはらんでいたり複雑だったりするからであった。あなたもこの同じ経験をするだろう。だから、クラスで取り上げた問題を、クラスメート同士で、またそのクラスをとっていない友達と議論することはよいことである。これは問題に対する理解を深めるのに役立ち、まだ何を十分に理解していないのかをわからせてくれる。

もっと価値があるのは、論文で議論したいトピックについて互いに話すことだ。もし自分の考えが完成していて、他人に口で説明できる程なら、机に座りアウトラインを作り始めてよい。

アウトラインを作る


ドラフトを書く前には、いつも次のようなことを考える必要がある。議論の対象となるさまざまな用語や立場について、どういう順序で説明すればよいだろうか。論争相手の立場や議論をどこで提示すればよいだろうか。相手への批判をどういう順序で提示していけばよいだろうか。あなたが行う主張の中には、他の点について議論をおこなったことを前提とするものがないだろうか------こうした問いである。

あなたの論文の全体的な明快さは、論文の構造に大きくかかっている。これが、論文を書き始める前にこうした問いについて考えておくのが重要な理由である。

わたしが強く薦めるのは、論文を書き始める前に、論文およびあなたがそこで行う議論についてアウトラインを作成しておくことである。これによって、論文であなたが行いたい主張を整理することができるし、そうした主張がどのように組み合わさるかわかるようになる。また、これによって、完全なドラフトを本腰を入れて書く前に、自分の主な議論や批判がどのようものになるか言えるようにするのに役立つ。学生が執筆に行き詰まるのは、何を言いたいのかまだわかっていなかったからであることが多いのである。

アウトラインに完全に集中せよ。アウトラインはかなり詳しいものでなくてはいけない(5ページの論文なら、適当なアウトラインは一ページ全部あるいはそれ以上であることさえある)。

アウトラインを書くことは、よい哲学論文を書くときの仕事のうち少なくとも80%を占めると思う。もしよいアウトラインができたら、残りの書くプロセスは、ずっとスムーズに進むことになる。

早めに仕事を始める


哲学の問題や哲学の論文を書くことは、慎重で時間を掛けた反省を必要とする。締め切りの二、三日前になるまで取りかからないようにしようとしてはいけない。そんなことをするのはとてもバカである。よい哲学の論文を書くには、大変な準備が必要なのである。

トピックについて考え、詳細なアウトラインを書くのに十分な時間を掛ける必要がある。そうしてはじめて、完全なドラフトを書くのに腰を据えて取り組まなくてはならない。いったん完全なドラフトができたら、一日か二日それを脇に置いておくべきである。そのあとで、そのドラフトに返って、書き直すのだ。何回もだ。少なくとも三回か四回。もし可能なら、ドラフトを友達に見せて反応をもらうべし。あなたの主な主張が理解できるか? 不明確なあるいは混乱させるようなところがあるか?

こうしたことはすべて時間がかかる。だからトピックが与えられるやいなや、論文に取りかかりはじめなくてはいけないのだ。

*1:以下"paper"を「論文」と訳すが、"paper"は日本語の「論文」よりも広く、学術誌に掲載される学術論文から、学部生が書くターム・ペーパーまで含まれる。