まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

大学の哲学科に行くと頭がよくなる

という論文を読んだ(オープンアクセス、pdf)。この論文は発表後早速話題になっているがまだわたしの周りでは紹介されていないので、簡単に紹介する。

哲学を学ぶと頭がよくなる(=試験で好成績をとれる)か?

哲学を学ぶことの効用として喧伝されることの一つが「よりよく考える人」(a better thinker)になることである。実際、欧米の大学の哲学科のウェブサイトを覗くと、学部入学志望生のためのこうした宣伝文句が書いてあることが多い()。またこれを表す証拠として、大学入試共通テストのような標準化された試験(standardized test; 北米ではロースクール入試で用いられるLSATや大学院受験のために使われるGREが代表例)の成績が挙げられることもある()。すなわち「哲学科の卒業生はほかの学科の卒業生と比べてLSATやGREの成績が高い→哲学科に行けばよりよく考えられるようになる」というわけだ。この前段のデータ自体は概ね正しいことが知られている。

しかし、たとえこうしたデータが正しいとしても、これを大学哲学科の成果とするのには注意が必要である。というのは、学科によって入学する学生の資質は異なるからだ。早い話が、哲学科の入学生は元々こうした標準化された試験に(ほかの学科の学生よりも)強いかもしれないのである。そうすると、哲学科の教育が何の影響を及ぼさなくても、哲学科の卒業生が他学科の卒業生よりも標準化試験でよい成績を取ることはあり得る。すると、哲学科の卒業生の成績はそれ自体では哲学を学ぶこと(ここでは哲学科の教育)の効用を示すとは限らないことになる。

もちろん、ランダム化比較実験をすればこの問題は回避できる。しかし大学進学を予定している人に対してランダムに「あなたは哲学科に進学しろ」「あなたはダメ」と指示するような実験には倫理的な問題があり、実際には実施できない。

この論文の著者はこの問題を乗り越えるために、米国の高等教育研究所(Higher Education Research Institute)という機関に納められているデータを利用した。このデータは、1994年から2008年にいたる65万人近くのさまざまな学科の卒業生を対象とする。その中の40万人近く(1994-2004年)については、入学時の標準化試験(SAT=日本の共通テストに対応)と卒業時の標準化試験(LSATおよびGRE)の成績データが集められている。そこで著者はこれを学科別に集めて比較することで、卒業生の標準化試験の成績そのものではなくて、その成績の伸びを学科同士で比較することができると言う。

試験で成績がよい=よりよく考えられる、か?

ただ、「試験で好成績をとれること」と「よりよく考えられる」ことをイコールで結ぶことにためらいを感じる人も多いだろう。例えば(この論文では書かれていないが)心理学者のキース・スタノヴィッチの研究では、高度な情報処理能力をもつことと、それを適切に用いる意欲をもつことは別であることが示されている*1。また、高度な情報処理能力があっても、今の自分の見解とは別の見解を真剣に受け止め検討したり(オープンマインド)しなければ、陰謀論にはまってしまいかねない。現に、さまざまな陰謀論を宣伝している原口一博総務相は、東京大学の出身である。

したがってよりよく考えられるためには、単なる情報処理能力だけでなく、より良く考えるための態度(thinking dispositions)も重要である*2。例えば上で述べたオープンマインドであることとか、結論を下す前に十分な証拠を集めようとする態度を身につけることも、よりよく考えられるためには重要である。

この論文ではそこにも注意を払い、上の標準化試験と同様に、さまざまな学科に渡って、上の態度が大学学部生の間にどのように変化したかを学科間で比較する。具体的には、「心の習慣」と「多元主義的な傾向」(Pluralistic Orientation)という二つの尺度に関して、それを表す描写(前者なら「自分の意見を論理的論証でサポートする」とか、後者なら「世界を他の人の観点から見る能力」)を被験者(参加者)に提示する。その上で前者なら被験者にこうした文で書かれたことをどのくらい自分で行うかを、例えば「頻繁に行う」「ときどき行う」「全然行わない」といった感じで答えてもらう(後者なら、こうした能力を自分がどのくらいもっているかを判断してもらう)。

こんなに哲学者に都合のよい結果が出てもよいのか

結果を見てみよう。まず標準化された試験では、哲学科の卒業生はほかの学科の卒業生よりも学部四年間の伸びが大きくなっている。例えばGREは言語と数学の二つの部門に分かれるが、論文の11頁にある図では哲学科の卒業生における言語部門のスコアの伸びは、他のすべての学科を上回っている。LSATでも同様に哲学科卒業者の伸びは全学科中第一位である。ただしGREの数学については哲学科卒業生の伸びは中程度でほとんど目立たない。

ということで、標準化試験では哲学科への進学は結果の伸びと結構相関していることがわかった。では思考に関わる態度についてはどうだろうか。ここでも哲学科卒業生は他学科の卒業生よりも大学在学時の伸びが大きい。例えば「心の習慣」という文を肯定する度合いの伸びは、哲学科卒業生では他のすべての学科の卒業生を上回っている*3

なお一つの可能な反論として、学科によって大学四年時に標準化された試験を受ける層に差があるのではというものがある。単純な入学時の資質に関する学科間の違いは卒業時との比較で取り除かれるものの、もし卒業時に標準化された試験を受けるような学生層に学科間で差があるならば、上のような結果がそれだけで出てくるかもしれない。例えば、平たく言うと標準化された試験で結果を出すためにはある程度の「意欲」が必要だが、卒業時にそうした試験を受ける学生の中で「意欲のある」学生の比率が学科によって異なるならば、学科の教育に効果がなくても上で見たような違いが出る可能性がある。

著者はこの反論を予測しており、入学時のSATの点数とGREやLSATの受験経験との相関を異なる学科に渡って調べている。上の仮説が正しいならば、SATの点数とGREやLSATの受験経験との相関の強さが学科によって異なるだろうというわけである。しかし彼らの報告ではそうした相関の強さの違いは見いだされなかった。これは上の仮説が成り立っていないことを示唆する。

ということで、これは哲学者にとって夢のような結果である。もちろん、この手の研究では一つの結果でこうした大きな問いに対する決定的な結論が出ることは少ないので、もう少し研究者間のやりとりを見る必要がある。例えばここで対象となっているのは米国の大学生だが、他の国にこの結果が当てはまるかはわからない。また態度に関するデータは学生の自己申告に基づいているので、正確さにはどうしても限界がある。さらにここでは紹介していないデータ収集・統計的分析などに問題がある可能性もある。それでも、哲学者にとってはencouragingな話である。

*1:例えば

を参照。

*2:タイミングのよいことに、科学にとってのそうした態度の重要性を示す本

が訳されている。

*3:個人的には哲学科の教育ではこうした態度の重要性は結構強調されるし、また科目の教育の中でもそうした態度を身につけさせるような契機(例えば学生同士のディスカッションの時間が多くとられている)が多い印象なので、この結果には(標準化試験の成績よりは)違和感はない。