人種と知能(1)
知能の勉強を細々と続けているが、この分野でいつも大きな議論になるのが、人種と知能の関係だ。このテーマはきちんとしたリサーチに基づかないことをうっかり述べてしまうと影響がきわめて大きいので、現在の研究でどういうことがわかっているのか(わかっていないのか)を簡単にまとめる目的で、サーヴェイ的論文を二篇紹介する。ひとつは
The Cambridge Handbook of Intelligence (Cambridge Handbooks in Psychology)
- 作者: Robert J. Sternberg,Scott Barry Kaufman
- 出版社/メーカー: Cambridge University Press
- 発売日: 2011/05/30
- メディア: ペーパーバック
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この章は「人種と知能」と題されているが、基本的には米英における白人と黒人のIQテストの成績の差について議論している。現在米英在住の白人と黒人がIQテストを受けると15ポイントほどの差が見られる。IQテストの成績では15ポイントの差が一標準偏差となるように得点をつけるので、白人黒人の差は非常に大きな差である。もう少しなじみ深い偏差値を使ってたとえると、白人の偏差値の平均が50なのに黒人の平均が40になるようなものである。このIQテストの成績の差は昔に比べると縮まってきているが、それでもまだこれだけ大きな差があり、また最近は差が縮まるペースが鈍化・あるいはストップしている。
ここまではこの論争の参加者が共通して認める事実だ。論争点はこうした差が何を意味して何に由来するかということである。Herrnstein and Murray(1994)はこのトピックにおいて大きな話題になった本だが、DaleyとOnwuegbuzieがまとめるところでの、Herrnstein and Murray(H&M)の主張は次の三点である*3。
- IQテストで測られる能力は一般に知能と呼ばれる能力である。
- それはかなりのところ遺伝的である。
- したがって、黒人白人の成績の差の多くは両者の遺伝的な違いによるものである。
人種と知能の関係についての論争の多くは、これらの主張が正しいか、もっともな証拠があるかということに費やされている。
IQテストの成績=知能の程度?
この論文の著者はH&Mの議論に否定的である。(1)については、著者は「人種」や「知能」という概念が(社会的)構築物であることを主張する。人種については、それが人工的構築物であって実在するわけではないという一般的な議論を引用する。
「知能」に関しては、IQテストで測られる能力が本当に「知能」と言えるものを測っているのかということが問題になる。肯定的な証拠としては、IQテストの成績が学校の成績や(より少ない程度であるが)職業的成功と相関していることが挙げられる。つまりIQテストの成績は単なる数字ではなく、実際にその人の人生にとって関係のある何かの能力を表しているのだというのである。
著者はこれに対してこうした議論は「循環論法」に陥っている可能性があると批判する(296)。というのは、上で述べたような学校の成績やそれによってもたらされる職業的成功(およびそれと密接な関係にある社会経済的階級)は、子弟の教育を通じてIQスコアに影響を与える可能性があるからだ。もしこの可能性を受け入れるならば「IQテストの成績→学校の成績→職業的成功→社会経済的階級→IQテストの成績」という循環的流れができるというのである。
(ただし、わたしにとってはこの議論はあまり説得的ではない。上の議論は、IQテストと学校の成績あるいは職業的成功のあいだに因果的フィードバックループがあるので定義上別のものを測定しているのではないと主張したいのだろう。例えば定期試験や入学試験にレイブンマトリックス(IQテストでよく使われる問題形式の一つ)を使っているならば、試験の成績がIQテストの成績と相関するのは明らかであり、そうした相関は大きな意味を持たない。しかし実際はそうではない。特に職業的成功については、IQテストが測定する能力とは表面的には異なる能力に部分的にであれ基づいているように思われる(会社員は営業先でレイブンマトリックスの問題を解くわけではない)。そうすると、両者の相関は単なる定義を超えるものであることになる。)
一方否定的なサポートとしては、著者はIQテスト以外の認知能力を測るテストがない場合、本当にIQが知能を測定できているのかわからないことを指摘する。またIQテストは文化的な影響を受けているので、欧米の中産階級の白人文化以外の出身の人々には不利になっている可能性もある。例えば上のレイブンマトリックスは文化中立的であるとされることがあるが、行同士・列同士に成り立つ順序関係やマトリックスにどういう心的操作をすればよいかについての知識が問題を解くのに関わっていることが指摘されている。
知能の遺伝性
(2)に関して言うと、H&Mは、社会経済階級がIQテストの成績に影響があることに否定的であること、IQテストで測られる能力はかなりの程度遺伝的であることを主張する。
それに対して著者はいくつかの証拠を挙げて教育はIQテストの成績の向上に効果があると反論する。
例えばH&Mが自説の根拠としてあげるのに幼児教育の効果がある。ここで挙げられているのはおそらくペリープリスクールプログラムのような幼児に特別な教育を施すプログラムのことであろうが、少なくともIQテストの成績の点から見ると、その効果は長続きしないことがわかっている(プログラムが終わるとその効果も見られなくなる;Nisbett 2009)。しかし著者は別の研究を引用して、言語・推論能力向上へのサポートはプログラム終了2年後でも見られることがわかっているとする。
また貧困家庭のIQの遺伝率は、より裕福な家庭の遺伝率よりもずっと低く、一卵性双生児でも一緒に暮らした者の間のIQの相関係数はそうでないものよりも高くなっている。さらにマイノリティに関していうと学習によってIQスコアへの大きな正の影響を与えるできることがわかっている。そうしたことから著者は、知能はH&Mが示唆するほどには遺伝的ではないと結論する。