ウォレスの「知性の自然選択による進化」否定論
前に述べたようにウォレスは人間の知性(の少なくとも一部)が自然選択によって進化したことを否定する。ここでは彼の議論をDarwinismの最終章に沿って整理してみる(なお訳書は以下だが、わたしは読んでいません)。
- 作者: A.R.ウォレス,長沢純夫,大曾根静香
- 出版社/メーカー: 新思索社
- 発売日: 2009/08
- メディア: 単行本
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ヒトの身体の進化
Darwinismの最終章は人間の進化にあてられている。彼はまずヒトの進化を身体の進化と心の進化に分けて考察する。身体の進化についてはウォレスは、ヒトと他の動物の連続性を全面的にみとめる。彼は痕跡器官、身体構造、未発達の器官(rudimentary organ)になどについて『人間の由来』を引用して、ヒトの身体的特徴の多くが他の動物にも見られることを指摘する。たとえばヒトの耳のとがり(図)がイヌに見られるようなとがった耳の痕跡であると論じる。ただし、すべての身体的特徴がこうした連続性を呈する訳ではなく、二足歩行に伴う身体的特徴の違い(四肢の形状)や体毛の有無といった非連続的特徴があることも忘れていない。
そうした特徴の考察から、ウォレスはヒトは現存の霊長類のうちどの種にも特別似ておらず、したがって現存の霊長類のうちにはヒトの直接の祖先はいないと(正しく)結論する。つまり人類と他の霊長類の間には共通祖先があり、そこから人類は進化したのである。その後で彼は人類はどこで進化したかという問題について考え、アフリカではなくユーラシア大陸、とくにペルシアからチベット・シベリアを経由して満州に至る範囲ではないかと推測する。これによって人類の進化を裏付ける化石的証拠が出ていないことが理解できるという。
精神の進化
話を精神の進化に移しても、ウォレスは彼なりにダーウィンの議論をできるだけ尊重しようとしていることがわかる。ダーウィンが行ったように、ウォレスもヒトと他の動物の連続性が精神的性質においてみられることを指摘する。イヌやネコが夢を見ることから彼らにも想像力があることを述べ、また「未開人」(savages)の心的能力は高等動物(higher animals)のそれと大差ないとする。
しかし、このことは数学や芸術のような高次の精神的能力には当てはまらないとウォレスはいう。「知的・道徳的能力における動物から人類へと至る連続性と前進的発展を証明することは、こうした能力が自然選択によって発展してきたことを証明することと同じではない」。こうした能力のある部分は「自然選択と変異だけでは発展することは不可能であったし、したがって、それを説明するにはなにか他の影響や法則、あるいはagencyが必要になる」(463頁)。
そのためのウォレスの議論(argument)をまとめると、次のようになるだろう。
もしこの議論が妥当(valid)であるが、結論は受けいられないなら、二つの前提のうちいずれかが間違っていることになる。たとえば、スティーブン・ジェイ・グールドやジョフリー・ミラーは上の議論の2番目の前提を批判する。グールドは脳は何か別の事柄に対する適応だったのが、知的能力のために用いられるようになったと主張し、ミラーは自然選択ではなく性選択がヒトの知的能力を培ったのだと考える。
一つ興味深い点は(1)を主張するときに、ウォレスは基本的に群淘汰的事例しか上げていないことだ。例えば一つの例はギリシャであり、ウォレスはギリシャでは数学が発達したのにもかかわらずペルシャとの戦争に敗れたことを指摘する。
ウォレスはもう一つの議論を提示している。それによると、知性や芸術の能力に見られる変異は、自然選択によって進化した形質が見せるものよりもずっと大きいという点だ*2。
世界の有意味性の回復
もちろんこうした議論には「なにいってんの」的反応がくるわけだが、ウォレスは一応それを予期しており、生物の進化の歴史の中では新しい種類の原因が導入されることがあったことを強調する。たとえば、生命の誕生そのものが、有機的原因の導入という出来事でもあったわけであり、また感覚や意識(植物から動物への進化)も新しい種類の原因の導入だという。したがって、「スピリチュアルな」原因の導入も動物の進化にとってはまったく新しいというわけではない。
最後にウォレスは、こうした説明によってわれわれは無神論的な世界の無味乾燥さから離れて、世界を有意味な全体として理解できると主張する。「われわれにとって、世界の全体的目的や存在意義は...人間の身体を調和した人間精神の発達だったのである」(477頁)。
*1:ウォレスも注で述べているように、ヴァイスマンもこうした点につまずき人間の知性は自然選択による進化では出てこなかったとした。
*2:心理学者のスタノビッチは同様の点を進化心理学の難点として述べている(『心は遺伝子の論理で決まるのか-二重過程モデルでみるヒトの合理性』)