まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

自然を名付ける

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

自然を名づける―なぜ生物分類では直感と科学が衝突するのか

分類学の歴史を、人間が地域民族に共通して持つ分類学的直観を進化的・系統的分類が最終的に凌駕する歴史として描く。

前半はリンネがその分類体系の構築に当たっていかに自らの分類学的直観(著者はこれを「環世界センス」とよぶ)に頼っていたかの描写から始まる。リンネがその自然誌的経験によってもっていた分類に対するセンスは先輩および同僚の分類学者を凌駕するものであり、それがリンネが分類学界で王にまで上り詰め君臨できた理由である。次の章ではダーウィン、特に彼のフジツボについての研究にスポットを当てる。フジツボの研究はダーウィン及び分類学の歴史に様々な意味をもっていた。言うまでもなくフジツボ分類学的に研究するときには分類学的経験に基づく環世界センスを使わざるを得ないし、研究の結果ダーウィン分類学者のコミュニティ(そうしたセンスを持つ者のコミュニティ)に認められるようになった。しかし、フジツボの研究と分類学的・環世界センスの蜜月はここまでである。というのは、彼はこのフジツボの研究によって自らを分類のエキスパートと学会に認めさせ、自らの進化に対する説が発表された時の信憑性を高めようとする目論見をもっていたからである。それだけではない。彼は進化論と共に「分類は進化の歴史に基づいて行うべし」というアイデアを分類に持ち込んだ。この考えはすぐに分類学者に実践のレベルで受け入れられたわけではないが、20世紀後半に分岐学の根拠の一つとして分類学を根底から変えることになる。つまりダーウィン分類学のセンスに則りながら、その中にそうした伝統的分類学を根底から覆すような種子を潜ませていたわけである。

中盤では、スコット・アトランやブレント・バーリンらの民俗分類学の成果が引用される。ここでわかったことは、狩猟採集民族がその生物環境に行っている分類体系を集めたところ、その間にはかなりの程度の共通性があること(扱う生物群の数、階層性および階層の数など)、そしてそうした特徴は20世紀前半までの(科学的)分類学にも見られるということだ。こうしたことから、それまでの「科学的」分類と民俗分類には本質的な違いはなく、どちらも人類がほとんど生得的にもっている分類能力の現れだということが示唆される。さらに次の章で脳の障害によってこうした環世界センスを失った人――こうした人は生物界の分類能力を失うことに伴い「食べられるもの」と「そうでないもの」の区別ができなくなる――を描写することで、環世界センスが我々の生き残りに欠かせない能力であることが示される。

その意味で20世紀前半までの分類学は環世界センスと相即的だった。しかし20世紀後半の分類学に起こったことは、環世界センスに基づく分類からの離陸である。

第一の波である数量分類学は、生物の間の類似性を数値で表すことで、計量的方法が分類学者の直観に置き換えられることを主張した。この方法自体にはいくつかの欠陥が指摘され大きな影響力を持たなかったが、次の分子的形質の導入は分類学のあり方を大きく変えた。これまでの分類学は生物を文字通り「目」で見てわかる形質(つまり生物のかたち)に基づいて分類することが多かった。こうした営みでは、容易に想像できるように、分類学者が子供の頃から自然に慣れ親しむ中で培われた「環世界センス」が力を発揮する。しかし分子的性質とはつまり生物が持っている肉眼では見ることのできないDNA配列のことであり、そうした配列に基づく分類では「環世界センス」の役割は大きく低下する。

そして最後に分岐学が環世界センスにもとづく分類学に決定的な一撃を与えた。分岐学は先のダーウィンによる「分類は進化の歴史に基づいて行うべし」というアイデアを発展させ、「分類は進化の歴史にのみ基づくべし」と主張する。これがなぜ決定的な一撃を与えるのか。詳細な議論は本書を見てほしいが、分岐学によると、我々が慣れ親しんだ分類群――その代表例がサカナ(魚類)だ――が正規の分類群として認められなくなるのである。こうしたおなじみの分類群は、狩猟採集民と我々が共通に自然種として認めるものであるため、分岐学はこれまでの環世界センスに基づく分類からの原理的離脱を我々に求めることになった。

しかしヨーンは最後に切り返す。確かに分岐学は「科学的分類」を打ち立て、環世界センスに基づく分類学から離脱した。しかしそれが本当によいことだったのだろうか。そのとき著者は我々(というのは都会に住む人々のことだが)の多くがかつて持っていた自然に対する直観的知識を失ったこと、そしてそれによって地球環境の危機が到来したことを指摘する。その意味で、環世界センスにはまだ居場所があるし、我々はそれを取り戻さなくてはいけないのだと結論する。

ここまで読んでみてわかるとおり、著者は18世紀からの分類学の発展を物語としてうまくまとめている。つまり「物語・分類学の歴史」としてはとても読ませる本になっている。また分類学者の思考様式に「直観」的分類がどのくらい組み込まれてきたかについては、わたしの関心事でもある。実際のところ、わたしは個々の分類群の分類だけでなくて、「種」というカテゴリーに対する分類学者の振るまい方にもそうした直観が働いていると考えている(このあたりはわたしの博士論文を参照のこと)。そういう意味で大筋ではわたしは著者の見方に賛同する。しかし気になるところもある。

一つは、著者は分岐学的分類では魚類が正当な分類群とされなくなったから、「魚類は実在しない」というのが科学の結論だと述べる。私見によればこの推論は誤りだ。もし「存在する」ということを「自然種である」ということだと考えるならば、単系統群だけが自然種になれるというわけではない。たとえば科学的説明に必要であるならば、非単系統群(多系統群、側系統群)も自然種と見なすことができ、実在すると考えてよいのではないか。つまり「Xが正規の分類群である」ということと「Xが実在する(自然種である)」ということは別の事柄だと考えることができるのではないか。

もう一つはエルンスト・マイヤーの扱いである。この本ではマイヤーが環世界センスに基づく分類学者であったことが強調されている。しかしマイヤーは同時に伝統的な分類学(環世界センスに大きく依存している分類学)に非常に批判的であったことも忘れてはならない。実際、マイヤーが分類学上の論的を批判するときには、相手を「類型学的」(typological)とレッテルを貼ることは珍しくなかったし、生物学的種概念も種の分類を単なるセンスの問題から解放しようとする意図があったといえる。

また、結論部で著者は、都市住民が環世界センスを失ったことを嘆き、環世界センスの復権を環境破壊をせき止めるための要因として訴える。たしかに現代の都市住民の生物についての知識は、自然に囲まれた人々・昔の人々のそれに比べるときわめて貧弱である。しかしそうした貧弱化は都市化・文明化の結果であって、つまり自然破壊と環世界センスの貧弱化はどちらも都市化の結果だろう。そこをヨーンは取り違えているように思われる。

そうした問題はあるものの、ダーウィン以降の分類学がたどった歴史を語る「分類学戦国絵巻」としては読みやすく、おもしろい本だ。翻訳についても引っかかるところは一読した限りではほとんどなく、流れに沿って読める。ただ、バークリーの言葉として「実在は知覚できる」とある(267ページ)が、これは有名な「実在するとは知覚されることである」(To be is to be perceived, あるいはesse is percipi)が引かれているのではないかと思った(ただし原書が手元にないので原文でどうなっているかはわからない)。