進化論の射程---生物学の哲学入門(立ち読み版・6章)
先に紹介しました絶賛発売中の
進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)
- 作者: エリオットソーバー,Elliott Sober,松本俊吉,網谷祐一,森元良太
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2009/04/01
- メディア: 単行本
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ですが、訳文のふいんき(なぜかry)を味わって頂くために、わたしが担当した6章の冒頭部分の抜粋をのせました。よろしくお願い申し上げます。次回更新時は7章の冒頭部分をのせたいと思っています。
なお
- 訳書は縦書きです。
- わたしの手元にあるファイルをもとにしていますので、訳書の文章とは一部異なるところがあるかもしれません。
- 強調の傍点やルビは再現していません。
- HTML上で読みやすいように、一部改変しています(段落間に一行空行を入れるなど)
- もし引用される場合は、上の本からお願いします(ないとは思いますが)。
第6章 体系学
ダーウィンは自らの最も影響力のある著作を『自然選択による種の起源について』と名付けたが、にもかかわらず彼はしばしば種という概念への疑いを明らかにした。彼は「種と亜種の間に、明確な境界線はまだひかれていない」と述べている(51 頁[邦訳上巻74頁])。また「種という語は相互に近似している一連の個体に便宜のため任意に与えられたもの」だと自分はみている(52 頁[邦訳上巻75 頁])、と記してもいる。もしかすると『自然選択により示された種の反実在性について』というのが、エレガントさには欠けるが、彼の本にとってより適切なタイトルであったのかもしれない。
もし種が実在しないなら、その起源を説明しようとするような理論がどうして可能だったのだろうか。例えば、ケンタウルスは存在しないので、その起源を説明することはどんな本にもできない。もちろん、ダーウィンはこの問題を無視することができたし、実際にそうした。彼の理論は生命の多様性を説明しようとしたのである。彼が記述した枝分かれの過程は、あるところでは似ているが、ほかのところでは異なっているような多数の生物を生み出す。自然選択は生物の間の差異に働き、集団の間の差異を生じさせる。こうした過程の結果として、生物を種に分ける唯一正しい方法は存在しないと、ダーウィンは考えた。
体系学とは種を同定し、それらの種を(属、科、目、界といった)高次分類群に組織化することを目的とする生物学の部門である。もし種が実在しないなら、種が属するといわれる分類群[高次分類群]もやはり実在しないと言えるように思えるかもしれない。しかし興味深いことに、ダーウィンの結論はそうではなかった。『種の起源』にある唯一の図は、変化を伴う由来の過程が生命の木を生み出すさまを示している。この分岐していく系統のパターンが、分類学にとって唯一の客観的基盤を与えるものだと、ダーウィンは考えたのである。
真の分類はすべて系統的な分類である。由来の共通性は博物学者がそれと意識せずに探索してきた隠れた紐帯であって、何らかの未知の創造計画とか、一般的に成り立つ命題を述べたものではなく、またある程度互いに似通った対象をただ一緒にしたり離したりすることでもない。(420 頁[邦訳下巻178 頁を改訳])
こうしたダーウィンの文章は、多くの興味深い問いを提起する。種とは本当のところ、何なのか。高次分類群を相互に区別するものは何なのか。いずれの場合も、われわれが知りたいのは次のようなことである------[種や高次分類群について]唯一正しい定義があるのか、それともわれわれが採用する基準には規約的要素がともなうのか。