まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

進化論の射程---生物学の哲学入門(立ち読み版・7章)

自分のエントリをホッテントリで見つけてびっくりしました(挨拶)。

さて全国書店上で絶賛販売中の

進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)

進化論の射程―生物学の哲学入門 (現代哲学への招待Great Works)

  • 作者: エリオットソーバー,Elliott Sober,松本俊吉,網谷祐一,森元良太
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2009/04/01
  • メディア: 単行本
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ですが、訳文の雰囲気を味わって頂くために、前回に引き続きわたしが担当した7章の冒頭部分を抜粋でのせました。よろしくお願い申し上げます。

なお、前回と同様に

  • 訳書は縦書きです。
  • わたしの手元にあるファイルをもとにしていますので、訳書の文章とは一部異なるところがあるかもしれません。
  • 強調の傍点やルビは再現していません。
  • HTML上で読みやすいように、一部改変しています(段落間に一行空行を入れるなど)
  • 万一引用される場合は、上の本からお願いします。

第7章 社会生物学と進化理論の拡張


社会生物学は、様々な種の重要な社会的・心理的・行動的形質を進化論を用いて説明しようとするリサーチ・プログラムである。このように理解するなら、社会生物学は、E・O・ウィルソンの議論を巻き起こした本『社会生物学------新たなる総合』の出版(1975 年)とともに始まったわけではない。行動の進化は、つねにダーウィニズムの理論が取り組むべき主題であり続けてきたのである。


社会生物学をその先駆者から分かつものは、社会生物学が現代進化論の言葉を用いる点である。ウィルソンは、社会生物学の主たる問題は利他性の進化であるとはっきり宣言した。社会生物学の特徴は、このように利他性に焦点を当てたこと、および多くの社会生物学者(ただしすべてではない)が集団選択仮説をむやみに用いることに抵抗したことである。社会生物学はたんに行動の進化に関心を持つリサーチ・プログラムではない。社会生物学に特徴的なものの見方は、適応主義------個体適応仮説につよい強調点を置いた適応主義------である。


ウィルソンの本をめぐって最初に起こった騒動は、その本の最終章にかかわっていた。そこでウィルソンは、社会生物学のアイデアを人間の心と文化に当てはめた。ウィルソンはイデオロギー的文書を作成したとして批判され、また政治上の現状維持を正当化するために科学のアイデアを乱用したという嫌疑をかけられた。社会生物学はまた、反証不可能だとして批判された。社会生物学者は------[実際に]厳密にテストされていなかった、そしてもしかしたらそうしたテストにかけることのできないような------なぜなぜ話(just-so stories)をこしらえていると糾弾されたのである(Allen et al. 1978)。


こうした批判のいくつかは、ここで個別に論ずるには値しない。反証不可能性の嫌疑についての私の見解は、二章と四章から明らかなはずである。社会生物学は、適応主義と同様、リサーチ・プログラムである。リサーチ・プログラムは、特定の一つのモデルと盛衰をともにすることはない。


[中略]


わたし自身の見方はこうである。つまり、社会生物学がいま現在もまた将来にわたっても破綻していることを示すような「必殺KOパンチ」というものはない。また、社会生物学の成功を確約するような「必殺KOパンチ」といったものもない。社会生物学のモデルの妥当性を議論するなら、つねに一つ一つのモデルを取り上げてその詳細を研究しなくてはいけないし、それを避けることはできない(Kitcher 1985)。本書のような小さな本の一つの章では、そうしたことを果たすには十分なスペースがないことは明らかである。いずれにせよ私は、社会生物学の将来について本格的に評価しようとするつもりはない。私の関心は、社会生物学論争の中で重要だったいくつかの広い哲学的テーマにある。