まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

知能にかんする本四冊

国際的な雑誌に論文が載るなら契約して魔法少女になってもよいと思っている今日この頃ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか*1

さて最近知能にかんする本を何冊か読んだので、簡単にメモします。

IQってホントは何なんだ?

IQってホントは何なんだ?

知能にかんする入門書。砕けた語り口。ただし「いままでの心理学は知能研究に関してはゴミ」といっているところもあり、人によっては傲慢にうつるかもしれない。内容は、知能とは何かという定義の問題から、知能テストの歴史、知能はどのくらい遺伝するのかという問題、知能は年を取るごとに低下するのか、知能の予測力など知能に関して多くの人が関心があるトピックを概ね扱っている。記述にはきちんと文献注を付しており、研究による裏付けがあることがわかる。ただし後書きに本書のまとめを著者は記しているが、このまとめと本文で述べていることにはずれがあるので注意。たとえば知能と年齢の関係では、IQの値は年齢を減るごとに低下するが、希望もあるとあとがきでは書いているが、後者については本文中ではそれらしい記述は見あたらない。


知能 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

知能 (〈1冊でわかる〉シリーズ)

同じく知能にかんする入門書。扱うトピックは村上本とほぼ重なる。ただし知能と人種の関係についてはかかれていない。知能の個人差は遺伝による影響が大きいという研究結果を受け入れている。参考文献がたくさん上げてあり(ただし英語)、次に読む本がわかる。これも記述には研究の裏付けがあることがわかる。
ただし、次のニスベット本を読むと、この本だけでは素人の読者は知能についてやや一面的なイメージを持ってしまうかもしれない。たとえば「ある集団において、知能の個人差は遺伝による影響が大きい」という研究があることは確かなのだが、素人はこれを「知能は遺伝によって決まる」と解釈するかもしれない。そして同じ人がこれを「アメリカの黒人のIQ値は白人よりもずっと小さい」という――それ自体は間違っているわけではない――べつの研究結果と組み合わせると、「アメリカの黒人のIQ値が低いのは、黒人が白人に比べて知能の点で遺伝的に劣っているから」という証拠に裏付けられていない結論に至るかもしれない。そういった「素人が陥りがちな誤解」に対する予防線はこの本ではひかれていない。


頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

頭のでき―決めるのは遺伝か、環境か

知能にかんする入門書であるが、「われわれの知能は環境によって変わるし、変えられる」という主張を前面に打ち出した本。村上本とディアリ本とは立場がちがうが同じくきちんとした文献に基づいており、傾聴に値する。一つの力点は、白人と黒人の間に(現に)あるIQの無視できない差は、遺伝的なファクターによるとは言えないという議論だ。ニスベットはひとつの要因として、白人と黒人の家庭の中にある認知文化の差を指摘している。
たとえば、彼は白人の養母と黒人の養母を比較したムーアの研究を引用する。この研究によると、養子がパズルなどの知的な課題を養母の前で解くとき、白人の養母と黒人の養母は非常に異なる態度を養子に見せるという。たとえば白人の養母は黒人の養母に比べてよく励まし、子どもがやったことを否定することがすくない。また子どもが行き詰まると、冗談を言ったり笑ったりして緊張を解こうとする。加えて問題を解こうとする子どもの努力を促したり(「あらーおもしろそうな考え方ね」「それは得意よね」)、「一カ所ずつ別々にやってみたら?」と学習を促すような方法で手助けをする傾向がある。これに対して黒人の養母はそうした態度を取らずに、しかめ面をしてにらみつけることが多かった。また指示をするときも黒人の養母は子どもにヒントを出して考えさせるのではなく、具体的な指図をしてしまい自力で課題を達成する機会を子どもから奪うことが多かったという。こうした研究を通じてニスベットは、黒人と白人の間に現に見られる知能指数の差は、遺伝的な原因によるものではなくてこうした認知文化の差なのだと指摘する。


知能指数 (講談社現代新書)

知能指数 (講談社現代新書)

この四冊の中ではわたしの評価は一番低い。それは著者がIQという概念の現在の利用法に対し批判的だからではなく、その批判が余りフェアではないように思えるからである。二つ例を挙げる。(1)IQを紹介するところで、著者はIQ=(精神年齢)/(実年齢)×100という式で定義し(28頁)、そうした概念のばかばかしさを「IQ1300」と判定された人を例に述べる。しかしこの知能指数のとらえ方は今となっては(そしてもしかしたらこの本が出た1997年でも――知能偏差値を提案したウェクスラーは1981年に亡くなっている)古く、現在では余り使われていない。こうした古いとらえ方を紹介してIQを批判することは、現在では乗り越えられた部分を批判することで研究プログラム全体を批判することで望ましくない。(2)著者は「知能」を単一の能力と見るような見方に批判的である。それはそれでよい。しかし同じ多元的な見方を取るガードナーに対する「実証的ではない」という批判に対して「ガードナーの理論に対しては実証的でない(測定できない、理論のみである)という批判が起きているが、そのようなことは本質的ではないだろう」(170頁)と門前払いしてしまう。しかし心理学のモデルについて「測定ができるか否か」というのはそれなりに重要なことであるはずで、それをいきなり否定するのは無茶ではないか。著者の知能に対する文脈依存性モデル(ただし著者がこのように名付けているわけではない)については真剣に検討すべきだが、その他の記述は公平ではなく、この本を読む人は別の本も読む必要がある。*2

*1:しかしドラフトを読ませると「この議論絶対おかしいよ」とか「こんな論文を投稿しようとするなんて......わけがわからないよ」とか言われそうですが。

*2:ただし著者はこのテーマについて新たに本(『IQを問う―知能指数の問題と展開』)を書いているので、その本ではこうした見解が維持されていないかもしれない。