アタマでごちゃごちゃ考えるよりも
- 作者: N. J. MacKintosh
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
- 発売日: 2011/04/30
- メディア: ペーパーバック
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次の問に答えてみてほしい。
ある患者の胃には手術で取り除くことのできない腫瘍がある。この腫瘍は放射線照射によって破壊できる。しかし、放射線が弱いと、正常組織を傷つけることはないものの、腫瘍を破壊することはできない。かといって腫瘍を破壊するのに十分な強さをもつ放射線では、正常な組織をも破壊してしまう。腫瘍を治療するためには外科医はどのように放射線を用いることができるだろうか?
どうすればよいだろうか? じつはGick and Holyoak*2の実験によると、この問題は結構難しいことが知られていて、正答率は10%程しかない。
この問題に答えが出せなかった人は、次の問題について考えてみてほしい。
将軍は敵の要塞を攻撃して手に入れようと試みている。この要塞に通じる道はたくさんあるが、そのすべてに地雷が敷設されている。もし将軍が自分の部隊をすべて一つの道に集中させると地雷が爆発してしまうが、小集団なら地雷は爆発しない。しかし小さな集団による攻撃では要塞を手に入れるには十分ではない。そのためには自分の部隊全体が必要である。将軍はどうすればよいだろうか?
この第二問の正解は何だろうか?
じつはこの二つの問題には共通性がある。第二問の答えを用いて第一問について答えを得ることができるだろうか。
第二問の答えは「少量の戦力をさまざまな道から同時に要塞に浴びせて、要塞を打ち破る」である。これによって、将軍は自分の部隊すべてを要塞に集めることができ、同時に地雷の爆発を避けることができる。
そして第一問の答えは「少量の放射線をさまざまな方向から浴びせて、腫瘍があるところに集める」ということになる。これによって腫瘍のあるところだけに放射線を集めて治療することができる。
アナロジーを見つけるのは難しい
この二つの問題に共通する点は、
問題のある場所(腫瘍、要塞)に自分のリソース(放射線、部隊)をすべて集めないと、解決には至らない。しかし全リソースを一方向から集めると別の問題が生じてしまう(正常な組織の破壊、地雷の爆発)。したがって、その第二の問題を生じさせないために、さまざまな方向からリソースがすこしづつ同じ箇所に届くようにして、結果として全リソースが目的地(腫瘍や要塞)に集まるようにするとよい
というものだろう。
ここでこの二つの問題を出したポイントは、そしてGick and Holyoakが指摘しているポイントは、ヒントなしでこの二つの問題の間の関連を見いだす人はほとんどいないということだ。つまり出題者が「二つの問題に関連がある」とハッキリ言わないと、第二問を用いて第一問について答えを出す人はほとんどいないのである。
例えばGick and Holyoakの実験では、第二問のエピソードを他の二つの関係ないエピソードと一緒に読ませた参加者でも、第一問への正答率は20%程にとどまる。実験者が「前に読んでもらったエピソードの中に問題を解くヒントがあるかもしれません」と知らせてはじめて正答率が75%に跳ね上がるのである。
この問題からの一つの教訓は、多くの人間は上の問題の解決に必要とされる類のアナロジカルな推論が苦手である(特に関係項が一見別々の文脈にある場合)ということだ。これは、別のことばで言うと、ある文脈の問題解決方法を脱文脈化して別の文脈に応用すること、ある文脈と別の文脈をヒントなしに重ね合わせることが苦手だということである。*3
「アタマでごちゃごちゃ考えるよりも、手を動かしさい」
そこで問題解決の方法を論じる際によく言われる「問題を解決するためには、アタマでごちゃごちゃ考えるよりも、手を動かした方がよい」ということの有効性がわかる。
問題を解決するときには、別の文脈からのアナロジーが役に立つことがある。ところが多くの人にとっては、アナロジカルな推論は、単に問題について外野から考えているときにははたらかない――単に二つの問題を眺めているだけでは、この二つの問題のつながりに気づかないし、さらに第二の将軍の問題を解いただけでも、それを第一の腫瘍の問題に応用することを考えつくには不足しているわけだ。
このように単に問題について抽象的に考えるのでは、むつかしい問題の解決には十分ではない。この二つの問題の研究が示唆しているのは、次のことだ。ハッキリと「将軍の問題は腫瘍の問題の解決に役立たないだろうか?」と自分に問うて、将軍の問題が腫瘍の問題に関連する可能性に注意を向けないと、将軍の問題を腫瘍の問題に応用することはできないらしいのだ。
そして、「実際に手を動かして問題解決に取り組む」というのは、その問題により多くの意識を向ける手段だ。そして問題解決に取り組んでいると、別の問題にであったときに「これをわれわれの取り組んでいる問題の解決に役立てることができるだろうか」と問う機会がおおくなる。そうすると可能なアナロジーに気づくことが多くなり、実際に問題の解決に至ることができるようになるわけだ。
*1:ただし以下の例は『認知心理学 (New Liberal Arts Selection)』にもでていたと記憶している。
*2:Gick M.L. & Holyoak, K.J. (1980), Analogical problem solving, Cognitive Psychology, 12, 306-55
*3:ここまでは一応きちんとしたリサーチに基づいた話だが、以下の段落の話はわたしの解釈に基づいているので、一応注意してほしい。