まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

「パンデミック時のニュートン」からの教訓

新型コロナウイルスの流行で多くの学校が閉鎖されている。しかしそうしたことの予期せざるよい面を見ようとして、ニュートンのエピソードが話題になることがある。曰く

ニュートン微積分法、光と色の新しい理論、および万有引力の理論という大きな発見をしたのは、イギリスがペストの流行に見舞われケンブリッジ大学が閉鎖されていた間である。(だから我々も大きな発見をなすかもしれない)

しかし

ニュートン (岩波新書 黄版 88)

ニュートン (岩波新書 黄版 88)

を読むと、これは正しい歴史の教訓ではないかもしれない。

このエピソードは次のニュートンの記述が元になっている。

一六六五年の初め、私ば近似級数の方法と、どの二項式のどれほど高位のものでも、このような級数にする法則を発見した。同じ年の五月に、私はグレゴリとスリューズの接線法を発見し、一一月には流率法[微分法]の直接的方法を、翌年の一月には色の理論を発見し、五月には流率法の逆に入った。同じ年、私は月の軌道にまで及ぶ重力について考え始めた。惑星の周期の二乗が軌道の中心からの距離の三乗に比例するというケプラーの法則から、ある球内を回転する天体が、その球面を押す力の算定法を発見したので、諸惑星をその軌道に保つ力は、中心からの距離の二乗に逆比例することを推論した。これによって、月を軌道に保つに要する力と、地表の重力とを比較し、それらがかなりよく一致することを発見した。これらはすべて、一六六五年と一六六六年のペストの流行した二年間のことであった。この時これらはすべて、一六六五年と一六六六年のペストの流行した二年間のことであった。この時期は年齢からいって私の発見の最盛期にあたり、それ以後のどの時期よりも数学と哲学に打込んだ。

しかしこれはニュートンが76歳の時にライプニッツに対して微積分法発見の先取権があることを強調するために書いたものであるので、額面通りに受け取れないかもしれない。

実際、上の本の著者は、最近の研究*1ではこれは必ずしも正しくないといっている。例えば重力については、このときの研究ではニュートンは満足のいく理論には達していなかったし(最終的な理論に到達するためには例えばフックとのやりとりをきっかけにした研究が必要だった)、上で「一致する」とされた二つの力もその当時の計算では一致しなかった(42頁)。また微積分法などの数学の研究についても、重要な研究はペストによる閉校が一時的に解除された1666年3月から6月に彼がケンブリッジ大学に滞在した時になされたという。さらに光が屈折性が異なる射線からなることを示した「決定的実験」も、上記滞在時になされたことは間違いないという(47頁)。

そこから考えると「休暇」が果たした役割は、「大学でおこなった発見を[休暇時の]孤独のうちに、先人の書物から離れて、じっくりと時間をかけて推敲した」(34頁)ことにあるとされている。

従ってこの事例から得られる科学史的教訓は、「大学が閉校になるのは残念だが、教員や学生が大きな発見をなすかもしれないのでそれにはいいこともある」ではなくて「休暇も大切だが、大学が開いているときには行った方がよい」ということになるだろう。

*1:ただし上の本が出版されたのは1979年なので、そのときの「最新」の研究。なのでその後の研究で覆されているかもしれないことに注意が必要。