まとまり日記

私はこういうときでも自分がいじけなかったこと、力むことなくそういう風に育ったのが母への感謝なのである。これは大きかった。恥ずかしさの容量が大きいのは強いのだ。見栄を張らないで生きること、これは何よりも大きな糧である。(森信雄)

読みやすい文章の書き方:期待をコントロールする

読みやすい文章を書くためのコツは色々とあるが、一つ重要なのは読者の期待(予測)をコントロールすることである。これはどういうことかというと、「これからわたしがどういうことを・どういうやり方で語るか」ということが読者にわかるように書いていくことである。

これを行う一つのやり方は、文章や段落を書く際に冒頭で文章全体・段落全体の構成を示して、その構成に沿って書くことである。こうすると読者は文章や段落の最初の部分を読んだだけで「この文章・段落は○○のトピックについて書いてあり、それについて△△のように進んでいくのだな」という期待を持つ。そしてその期待通りに文章が進んでいくとスムーズに理解が進む。

例えば次の段落のように「○○に反対する理由は三つある」と書いて、次の段落で「第一の理由は...」、その次の段落で「第二の理由は...」とやる場合がこれにあたる。

①わたしは恋愛や性交の対象となるような「性愛ロボット」の製品化には反対であり、その開発を規制すべきだと考える。②その理由は三つある。③一つは、こうしたロボットの製品化により、性愛ロボットへの依存症を発する人が増加する恐れが強いことである。④例えば...。


⑤二つ目の理由は、性愛ロボットの普及により歪んだ・暴力的な性行動を起こす傾向が強化されることである。

上の文章では①と②で、その後の段落や文章全体の骨格が暗示されている。これを読んだ読者は著者の立場および文章の構成を大体理解することになる。そしてその期待通りに次の文(③)や次の段落で文章が進んでいくことで、読者は「自分の予測が間違っていなかった」という満足感を得ることになる。

これに対してこのような構成の予告を伴わない文は読みにくい。

①しかし、これだけでは本章のプロジェクトが完了したとはいえない。②一つは、このような説明と二重過程説との関わりである。③本章前半では二重過程説の枠組みの導入して生物学者の「種」にかんする思考のあり方を説明すると述べた。④これについてはどうなるだろうか。⑤もう一つは、「種」についての定義を介した思考である。⑥これまでの議論では、「種」についての「定義を介さない」思考のあり方をさぐってきた。⑦しかし、生物学者が「種」について議論するとき、定義を介して思考している場合があることもまた無視できない。⑧そうした思考のあり方はどのように特徴付けられるだろうか。⑨そしてそれは二重過程説の枠組みのどこに位置するだろうか。⑩次の最終節では、こうしたことについて考える。

これはわたしが書いた草稿の一部だが、何となくいいたいことはわからなくもないけれども、今ひとつシャープさに欠ける。これは②や⑤が言及している「一つ」や「もうひとつ」がいったい何の「一つ」「もうひとつ」なのかがわからないためのである。これと以下の段落を比較してみよう。

①しかし、これだけでは本章のプロジェクトが完了したとはいえない。我々には残された課題が二つある。②一つは、このような説明と二重過程説との関わりである。③本章前半では二重過程説の枠組みの導入して生物学者の「種」にかんする思考のあり方を説明すると述べた。④これについてはどうなるだろうか。⑤もう一つは、「種」についての定義を介した思考である。⑥これまでの議論では、「種」についての「定義を介さない」思考のあり方をさぐってきた。⑦しかし、生物学者が「種」について議論するとき、定義を介して思考している場合があることもまた無視できない。⑧そうした思考のあり方はどのように特徴付けられるだろうか。⑨そしてそれは二重過程説の枠組みのどこに位置するだろうか。⑩次の最終節では、こうしたことについて考える。

この強調の部分でこの段落で何をやるか(残された課題を示す)が明示されている。これによって読者は「以下ではこれからの二つの課題について述べるのだな」ということが理解できて、しかも②⑤でその期待が満たされるので、気分よく文章を読んでいくことができる。

これに関連して注意すべき点は、暗示された段落の構成と実際の構成が食い違うことがないようにすることである。次の例を見てみよう。

①北海道と大阪には独特の食文化がある。②大阪ではお好み焼きは、炭水化物でできているにも関わらず「おかず」とみなされており、お好み焼き定食といったものが一般的に存在する。③またたこ焼きは神聖な食べ物と考えられている。④例えば大阪のすべての家庭にはたこ焼き器が備えられており、それぞれの家庭に代々伝えられたたこ焼きの作り方・焼き方が存在する。⑤これに対応するのが北海道のジンギスカンである。⑥スーパーマーケットにはジンギスカンソースにつかったラム肉のパックが売られているが、そうした商品を買うのはほぼ外地からの単身赴任者などに限られている。...*1

この段落では①と②の接続がスムーズではない。読者は①を読むと、「北海道と大阪の独特の食文化について、この順番で説明するのか」という期待をもつ。ところが②では大阪の(虚構の)食文化を説明している。こうすると読者の期待を裏切ることになり、読みにくくなる。

もちろんこのくらいの単純な文章ならこうした問題を見つけるのはたやすいが、論文のような込み入った文章を書くと、そして推敲を難解も重ねるうちにこうしたねじれた文章が時に入り込んで来ることがあるので、みなさんも(そしてわたしも)注意しなくてはならない。

*1:この段落の内容には虚構が含まれている。